2015年07月25日

坂の上の門

何だか題名だけをみれば「坂の上の雲」(司馬遼太郎)と「青春の門」

(五木寛之)を組み合わせたようなものだが、全く大それた意味はない。

ただ、坂を上ったところに学校があり、その門のことを述べている。

 私が通っていた高校の名前は隣接する三つの国を眺める丘というとこ

ろからきている。だから丘の上にあり、その丘に続く坂を3年間通った。

長男が通う大学は駅の改札を出たところから始まる坂をずっと上がった

ところにある。長女が通う大学は大学構内に山があるくらいの学校でキ

ャンパスを歩くとちょっとした山登りの感覚を味わえる。末っこの次男

の通う高校は山の斜面を切り開いたようは学校で、断崖絶壁に階段をつ

けたのではないかと思うぐらいの坂を上る。この坂を妻は次男と一緒に

暑い日盛りの下休憩を入れながら登っていった。因みに次男が通う高校

は長男の母校でもある。なので、長男は高校・大学の通学で相当に足腰

を鍛えられた。(ありがたい)

 楽しい夏休みだが、この夏休みに入る前にほとんどの学校では懇談会

がある。これが何とも言えない学生にとっては嫌〜なイベントである。

高校に入って、つま先から頭のてっぺんまで体全体の色が変わるのでは

ないかというぐらいに驚くのが、その学習のレベルの差である。幼児プ

ールで泳いでいたのが突然に公式競技用のプールで泳がされるのではな

いか、と思われるぐらいに格段という言葉では言い表せないぐらいにレ

ベルがあがる。なので、多くの生徒が勉強についていけない。恥ずかし

い話だが私も欠点バリバリ。夏休みや冬休み、春休みの日にち数ではない

のかと思うぐらいの数字の点数がいくつも。今でも当時の点数を思い返

すと赤面しそうな自分がいる。

 この懇談会に次男が向かった。結果は惨敗。新入幕が横綱に

挑むようなもの、中学生がイチローに臨むようなもの。中学生

と高校生のレベルの差に打ちひしがれたようであった。

 担任の先生に言われた叱咤の言葉に、何とか負けん気を奮い

立たせる若さがあったのが救いである。こちらは次男の肩を小

さくしてうつむきしょんぼりする姿を見て、笑いをこらえるの

に必死である。彼もこれから坂を上り始め、雲をつかむよう

な助走をし始める。同時に厚く重たく大きな門をたたき自分だ

けの扉を開いていく。

 こんな親の感傷めいた気分を一蹴し、二男は「待っていまし

た」とばかりに日本の三大祭の天神祭へと友達と一緒に出かけ

た。テストの点数は野球の打者の打率のようだが・・・

 夏休みはこれから本番へと入っていく。

雲は高く白く、門は厚く重く。次男の在り様はまだまだ私を楽

しませてくれそうだ。
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2015年07月19日

牡蠣のおいしさ

 独断で申し訳ないのだが、子供たちが好きな料理というのはカレーかハン

バーグ。それにエビフライ。さらにはオムライス。これらが定番というとこ

ろか。これらはお子様ランチをイメージして述べたものだが、55歳の私はま

だこれらのどれもが大好きだ。カレーの舌の上に乗るあじわい、ハンバーグ

の肉汁、エビフライの茶色の衣のなかの白い身、味付け自体が美味しいケチ

ャップ味のご飯。そのどれもが今の私にとっても子供と一緒に楽しめる食べ

物だ。

 子供がそれほどに好きな食べ物なのに親父はカレーが嫌いだった。母は私た

ち子供用のカレーをつくる鍋の横に父親用の肉鍋を用意していた。子供心にそ

ちらの鍋がすき焼きのように見えて、カレーよりも輝きを放っていたが、母親

は決して父親用の鍋を僕たち子供には食べさせてくれなかった。父親の食事

の好き嫌いはまだったようで、海のミルクと言われた牡蠣が嫌いだった。その

為、高校を出るまでに牡蠣を食べたことがなかった私が、浪人時代に初めて恐

る恐るだがカキフライを注文してみた。一口食べた後、ハンバーグの肉汁に

勝るとも劣らない牡蠣の汁が口の中に広まったことを昨日のように覚えて

いる。

 決して美しいと思えない捨て台詞調に元総理は言い捨てた。「そのデザ

イン(新国立競技場の)は生ガキのようで気持ち悪く、好きではなかった」

この元総理は何の因果かわからないが、大学の先輩でラグビーをやっていた

ようだ。自伝を読まれた方もおられるかと思うが、大学入学に関しても社会

にでて就職した際のエピソードもさわやかな感じのするものではなく、牡蠣

にあたったような苦々しい感じのするものだ。あれほどにおいしい牡蠣もタ

イミングを間違えれば猛毒にもなるもので、美しいものには棘があるのと同

じく、美味しいものには毒があるのだなと納得する。昔から彼の人は、知識

があるのかないのかわからない、礼も品も学もない言説を振りまく。もっと勉

強をすればよいのに、とかもっと本を読めばよいのにとか思うのだが、そんな

ことは彼にとってきっと取るに足らないことなのだろう。だからあの醜さが

今も強烈な力を放っている。牡蠣の猛毒のように。

 生ガキにレモン汁を少し絞ってかけて、ちゅるっと口に入れる。これだけ

でも生きててよかったと思うぐらいの幸せである。彼の人の捨て台詞になって

しまった生ガキが少し残念だとは思うが、彼の人は生ガキが嫌いなのだろう、

ということだけが救いである。

 牡蠣はRのつかない月には食べるものではないと世間で言われている。な

ので、本来の7月(JULYでRがつかない)は牡蠣にとっては出番のない月

なのだ。父親が牡蠣を嫌いだった理由は今もって不明だが、(こんど母に聞い

てみることにする)7月にそもそも牡蠣の話題をするのが牡蠣にとって迷惑な

ことかもしれない。

あの年齢になって、負け惜しみをあのような言葉で吐く輩が日本のある面のト

ップだとは。子供の悪ガキのような精神年齢である。あのような人には大人の

食事など似つかわしくなく、お子様ランチがぴったりな気がする。

 素晴らしい新国立競技場でオリンピックが開かれ、多くの選手の素晴らしい

プレー、パフオーマンスをビールと生ガキを食べながら見られることを本当に

楽しみにしている。
posted by P.S.コンサルティング at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記