2016年10月27日

長男が幼稚園の頃だったか、男の子なのである種当然のように昆虫に興味

を持ち、我が家でカブトムシを飼ったことがある。二頭。ホームセンター

で買ってきた飼育ケースにこれも買ってきた土(腐葉土?)をいれる。長男

は幼稚園から帰ってくるとケースを覗きこみ、土の中に入ってみえないカ

ブトムシの幼虫を観ていた。年子で生まれた長女である妹も同じように兄に

つられて覗き込み、二頭の名前を何度も叫んでいた。カブトムシケースは

私たちの部屋の奥の窓の所に置いてあり、私も二人と一緒によくケースを

覗きこんで、あれこれと話した。カブトムシは無事成虫となり、つけた名

前が「金」と「銀」。これは妻の発案だが、子供たちもすんなりと受け入

れ、我が家はその年の春から夏は「金」と「銀」が話題の中心となってい

た。夏が終わる頃、子供たちと話し合い、大阪の南にある山へ放すことに

した。私と長男がカブトムシを手に持ち、木の幹に置いた。カブトムシは

2頭とも動かずにいた。私たちはそれを少しの間見て、車に戻った。長女

は何も喋らなかった。車の中は勤めて妻が「金」と「銀」の未来について

陽気に子供達に語っていた。

 「金」と「銀」は子供たちの最愛の1番と2番だった。

  今日、私と妻は銀を冠する日を迎えた。銀婚式だ。結婚して25年、

結婚した日は25年後のことなど想像したこともなかったのに、この日を迎え

ることができた。25年を経て、子供が3人になり、長男は就職が内定し、

長女は社会人になり働いている。末の次男は高校2年生で、高校生活を

満喫する青春のファーストステージにいる。私は髪が真っ白になり、同

級生は定年のことを話題にする年齢になった。会社を興して14年でまだ

借入返済があり、まだ何を血迷うのかこれからさらに金融機関から資金

を借りようとしている。

 25年は銀で金は50年だそうだ。金婚式を迎えるときは82歳か。25年を

過ごせて来れたのは、なんだかんだは普通の夫婦のようにあったが、妻の

おかげ。暮らしのパートナー。大病もなく恙なく来れた。それと子供達の

おかげ。さらに母親。それにちょうど30年前に亡くなって、天から見守っ

てくれていると信じている父親。

 山に放ったカブトムシの「銀」とは同位になったが、「金」と同位になれる日は

まだこれから25年必要だ。妻と一緒にありがたみを積み上げて淡々と行くしかない。
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2016年10月13日

ミスコンテスト

美人コンテストの事らしい。コンテストだから参加した人の中で誰が一

番美人であるかということを決めることらしい。このミスコンテスト、

慶応大学での催しがなくなったそうだ。このことに関して識者らしい

立派な方々が意見を発せられている。ミスコンテストのくだらなさを

嘆いておられるのだが、どうも私には???と思うところがある。

ミスコンテストを目の敵のような言動も見られるのだがミスコンテ

ストは悪いのだろうか?ミスコンテストを開いて一番喜んでいるの

は参加する美人と自分で思い込んでいる女性たちなのではないか

と私は思っている。勿論それを見る私たちは「へえ〜。こんなきれ

いな女性が世の中にいるんだな」と関心はするけれど、それだけの

ことだ。どこかのテレビ局がコンテストの一位になった女性(それ

も慶応の)を採用しているやら何やらで、記事に書かれているけれ

ど、それが悪いことなのだろうか?ミスコンテストのグランプリに

なるような女性とは私は全く縁がないわけだが、どこそこの大学の

ミスコンテストのグランプリというのであれば、それはそれでニュ

ースとしてみる。古めかしい言葉でいえば親からもらった顔が美人

コンテストで一番になったというのであれば喜ばしいことではない

のか。一方で、顔の整形をして一位を獲得したというのであれば、

それはそれで良いのではないのだろうか?後でそのようなことを明

らかにして知らない人たちに伝えてやればよい。
  
コンテストは単なる遊びだ。(遊びが運命を決める事だってある)

 見栄えが良い女性をもてはやすのがいけないというのであれ

ば、自分たちで「見栄えが悪いが(器量は悪いが)、優しさが一

番コンテスト」とかを作れば良いのではないのだろうか?私の

ことでいえば、もしイケメンコンテストが開かれるようなことが

あって男子全員参加ということなら、一次審査までも行かなく

書類だけで落とされるような様子である。しかし、一位にな

ったイケメンはどんな奴か見てみたい。単なる好奇心からだ。

見た目で勝てなくても人間の価値は見た目以外の点にあると

信じているからだが(でないと私のような人間に生きていく

勇気が湧かない)

 今回の慶応のミスコンテストは主催する慶応の学生集団内

で何か事件のようなことが起きたから実施はされないようだ。

祭りの花の一つがなくなってとても残念な気がする。

ミスコンテスト(単に見栄えが良い美人コンテストとして)に

反対する輩こそが見栄えで人間の価値は大きく決まるという

狭い考えの持ち主と思えてならない。
 
posted by P.S.コンサルティング at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

マーク

 皆さんはマークとロゴの違いをご存じだろうか?私もわからなか

ったのでググってみるとおおざっぱにいえば、マークは図形でロゴ

は文字だそうだ。マークもロゴも素晴らしい力を発揮するので、今

はとても重要視されている。近いと思える言葉にエンブレムやシン

ボルと言うのもあるが、ここでは置いておくことにします。皆さん

でググって下さい。

 このマークの力の強さを今十分に感じている。やはりこのマーク

の威力ってすごいんだな、と。どのマークかと言うと、車の初心者

マークのこと。車に乗られる方は全員その力の恩恵を被ったはずだ。

緑は若葉を表し、黄色は注意喚起の意味だそうで、きっと私が今

までに見てきた中で最も絶大なる力を持っているマークだ。

 現在、私が使う車にそのマークが貼られてある。

 理由は就職の内定が決まった長男が私の車を堂々と使ってい

るからだ。就職の内定が決まったら、自動車の免許を取ると決

めていた長男が、9月に鳥取の自動車教習所の合宿に参加し、晴

れて家に戻ってきた。教習所の卒業証書を携えて。帰阪した彼

はさっそく運転免許試験場に向かい、昼過ぎには試験をパスした

とLINEで知らせてきた。これで路上にでるドライバーが一人

増えたことになる。その日から、夜になって妻か私が助手席に乗

せられて彼の実地訓練の助手を勤めている。

 自動車教習の教官の苦労も少しは分かろうというもの。私の

高校時代の友達が途中で自動車教習所を辞めたと昔、私に話し

たことがある。教官の言葉に納得いかなくて、腹を立て、その

教習所をやめたそうだ。当時(約30年前)はそんな話が少なから

ずあった。現在は競争が激しいので厳しい教官も殆どいなくな

ったように思えるが、助手席に乗ると教官の気持ちになる。

毎日、毎日、一日中、生まれたてのヒヨコが歩き出すような運

転をする何人もの教習生の横に乗って、運転を教えるストレス

が、大きく溜まって行ったのだろう。今では想像できるが、習

っている側は、それはそれで一生懸命なので理解できる余裕が

ない。そのストレスが助手席にいる私にかかってくる。

 練習で家に帰って来た際にはジュットコースターを乗り

終えた気分になる。安心というか、終えた安堵感と言うか、完

遂した満足感というか・・・

 私の車に貼られたマークがこの1年間彼を守るだろう。それ

ほどにパワーのあるマークでることを今さらに認識している。

 この若葉のマークの威力がなくなる頃、彼は左胸に新たな

マーク(バッジ)をつけることになる。このマークは会社の一

員としての社会的責任をまとったものだ。会社のマークをリ
ーデイングできるような社会人に一日も早くなってもらいた

いと思う。

posted by P.S.コンサルティング at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記