2019年も始まって2週間。毎年そうなのだけれど、
成人の日が日本では決められている。晴れて20歳に
なった人たちを公的にお祝いする。20歳になった事
を公的にお祝いするなどと海外にはあるのだろうか、
といつも不思議に思うけれど。これはこれで日本独自
のものでよいのではないかと。まあ、お祝い事は悪い
気はしない。最近は荒れた成人式と言う報道も少なく
なってきたので、穏やか一日となった。良かった。
成人式を機に正月気分は終わると私は感じている。
松の内までは得意先や仕事関係のあいさつ回りで正
月に足を突っ込んだままで活動する。それも一巡し
た松の内が明けたあたりから本格始動だ。
今年の成人式を迎える前に週末は訃報が続いた。
学者の梅原猛氏。氏の発言やニュースとところどこ
ろでお目にかかって来たとは思うが、本をじっくり
読んだ覚えはない。私が出くわすぐらいだから、ニ
ュース性の高い、それこそイノベーティブな発言を
していたのだろう。ググって調べると時代を刺激す
る発言が折々にあったようだ。政治家の人たちにも
影響力があったらしい。合掌。
日曜日の朝。その当時私も幼かったので、あまり
興味がわく番組ではなかった。海外旅行など庶民に
はとても遠い話で、学術的な物でもなかったように
思える。その系統の番組が現在でも土曜日の朝に多
く残っている。まだ1ドル360円の時代で、海外のニ
ュースはとても珍しかったのではないか。女性が世
界を巡って紹介する番組だった。私は幼くてそれよ
りも漫画の方が面白かった。兼高かおるさん。美人
だったと思う。哀悼。
土曜日の夕方。家族(父は不在)がテレビの前で集
合した。素朴と言うかシンプルすぎるというか、あ
まり手をかけないというか、幼稚園の子供が書く絵
画のようなアニメだった。それにまとまりがないそ
の分優しげな男性と女性の声。田舎くさいというか、
昔くさいというか。その名の通り「まんが日本昔話」
市原悦子さん。家政婦でも活躍された。黙祷。
当たり前だけれど、新しい人がどんどんと世の中
に出てくれば、世の中が広くならないかぎり、どん
どんと押し出される人が出てくる。順番と言えば順
番だけれど、押し出される時間のタイムラグ分、人
は成長していると信じたい・・・なぁ。
2019年01月16日
2019年01月07日
仕事始め
今日2019年1月7日、月曜日。今日から仕事始めの方も
多いと思われます。今年は4日が金曜日、5日が土曜日
ということで、まあ例年4日は、新年の顔出しの挨拶
だけと言う企業も多く、(私が働いていた企業もそう
でした)4日を有給取得し、長めの休暇を実施する会
社が多かったようです。長い休暇はそれはそれで喜
ばしいのですが、新年の出勤の初日が月曜日と言う
事で、ブルーな気持ちもより一層かもしれません。
ブルーを速やかに払拭し、ビジネスモードに
入ることですね。
休みの最後の日、何気なくテレビを見ていたのです
が、ちょっと面白そうな企画に手が止まりました。
「今でしょ」でブレイクした予備校講師がMCを勤
めている番組で「高学歴ニート」に説教するだったか、
教育するだったか、議論をするだったか・・・まあ
名前はどうでも良いのですが、とにかく高学歴なの
にどうしてニートをしているのか、議論する内容
だったと思います。その中で‘親のすねをかじれ
るだけかじる’と言うのがあって、討議をしてい
たのですが、私はそれについて賛成です。
私も親のすねはかじれるだけかじってきました。
(浪人をして東京の私立大学に入学して一人暮
らしもさせてもらったから)親の立場にしても
子供が他人に迷惑をかけるのだったら、親の自
分に迷惑をかけろ、とこれはまあ、その通りで
すね。ただ、親のすねがかじり終わった時、
自分の足で立っていられるか、と言う問題があっ
て、その点の想像力がニートの人にあるかは疑
問だけれど。好きな仕事が見つからないから、
ニートでいる、と言うのもありました。予備校
の先生は仕事には「したい、したくない」とい
う軸と「できる、できない」という軸があって、
その4つの窓のどれをするのか、という考えがあ
ると。さらにしたいという仕事に巡り合うのは
偶然で、できる仕事に就くのは必然である、と。
仕事をこのような2軸で私が考えたことがない
のですが、まあその通りだと。なぜ考えたこと
がないのかと言うと、偶然を待っていることは
できないし、できることがどのぐらいできるのか
自分ではわからないから。強いて言うのなら、
上記のような論理展開は結果論でしかないと
私は思ってしまうのですが・・・。
この偶然必然の説明にスティーブジョブズの例
を出したのが、今の若者達に響いたのではない
でしょうか。スティーブジョブズは「したい、
できる」仕事を実践した稀有な人物だと。こ
の偶然必然のキーワードを使って説明するのは
興味深い点でした。商品を開発する際にも、
自分が欲しいという前提(自分がしたい)
で開発することもあれば、人々が欲しがってい
るという前提(自分ができる)で開発するかの
どちらかです。前者は偶然で後者は必然とい
うことかも。振り返ってみて自分はどうかと。
うーん・・・少しだけできるで、少しだけし
たくない・・・か。少しだけできるは、選ん
でいる仕事で何とか食っていけている現状
があって、少しだけしたくない、は元来が
怠け者だから。
皆さんはどうでしょうか?「したい、できる」窓
に入っているでしょうか?
まあ、とにもかくにも2019年が始まりました。偶然
を快く迎えて、必然には気持ちよくリレーションを継
続していくことにしましょうか。
多いと思われます。今年は4日が金曜日、5日が土曜日
ということで、まあ例年4日は、新年の顔出しの挨拶
だけと言う企業も多く、(私が働いていた企業もそう
でした)4日を有給取得し、長めの休暇を実施する会
社が多かったようです。長い休暇はそれはそれで喜
ばしいのですが、新年の出勤の初日が月曜日と言う
事で、ブルーな気持ちもより一層かもしれません。
ブルーを速やかに払拭し、ビジネスモードに
入ることですね。
休みの最後の日、何気なくテレビを見ていたのです
が、ちょっと面白そうな企画に手が止まりました。
「今でしょ」でブレイクした予備校講師がMCを勤
めている番組で「高学歴ニート」に説教するだったか、
教育するだったか、議論をするだったか・・・まあ
名前はどうでも良いのですが、とにかく高学歴なの
にどうしてニートをしているのか、議論する内容
だったと思います。その中で‘親のすねをかじれ
るだけかじる’と言うのがあって、討議をしてい
たのですが、私はそれについて賛成です。
私も親のすねはかじれるだけかじってきました。
(浪人をして東京の私立大学に入学して一人暮
らしもさせてもらったから)親の立場にしても
子供が他人に迷惑をかけるのだったら、親の自
分に迷惑をかけろ、とこれはまあ、その通りで
すね。ただ、親のすねがかじり終わった時、
自分の足で立っていられるか、と言う問題があっ
て、その点の想像力がニートの人にあるかは疑
問だけれど。好きな仕事が見つからないから、
ニートでいる、と言うのもありました。予備校
の先生は仕事には「したい、したくない」とい
う軸と「できる、できない」という軸があって、
その4つの窓のどれをするのか、という考えがあ
ると。さらにしたいという仕事に巡り合うのは
偶然で、できる仕事に就くのは必然である、と。
仕事をこのような2軸で私が考えたことがない
のですが、まあその通りだと。なぜ考えたこと
がないのかと言うと、偶然を待っていることは
できないし、できることがどのぐらいできるのか
自分ではわからないから。強いて言うのなら、
上記のような論理展開は結果論でしかないと
私は思ってしまうのですが・・・。
この偶然必然の説明にスティーブジョブズの例
を出したのが、今の若者達に響いたのではない
でしょうか。スティーブジョブズは「したい、
できる」仕事を実践した稀有な人物だと。こ
の偶然必然のキーワードを使って説明するのは
興味深い点でした。商品を開発する際にも、
自分が欲しいという前提(自分がしたい)
で開発することもあれば、人々が欲しがってい
るという前提(自分ができる)で開発するかの
どちらかです。前者は偶然で後者は必然とい
うことかも。振り返ってみて自分はどうかと。
うーん・・・少しだけできるで、少しだけし
たくない・・・か。少しだけできるは、選ん
でいる仕事で何とか食っていけている現状
があって、少しだけしたくない、は元来が
怠け者だから。
皆さんはどうでしょうか?「したい、できる」窓
に入っているでしょうか?
まあ、とにもかくにも2019年が始まりました。偶然
を快く迎えて、必然には気持ちよくリレーションを継
続していくことにしましょうか。
2019年01月06日
新年の平成最後の年
皆さま、あけましておめでとうございます。本年も
どうぞよろしくお願いします。
今年は2019年、平成最後の年となりました。4月に
は新元号が発表され、平成の時代は終わります。平
成の時代、30年。平成が終わることでテレビや新
聞などのメデイアでは平成の時代とは何だったのか、
との内容が多く特集されました。その多くは「昭和
のつけ、清算に費やした時期」だったというもの。
今朝のサンデーモーニングでも同じ内容が伝えられ
ました。その中で若いコメンテーターがなるほどと
思ったことを述べています。「平成の時代がどうで
あったか、と考えるとその多くが昭和からの連続で
考えているのは、これらを企画している人たちが昭
和の人たちであったという事。それもバブルを経験
して、その流れで平成を語っているから」・・・だ
った内容のことを言っています。なるほど、と。平
成の時代で成長した人々に語らせれば、また違った
平成が浮かび上がってくるというのは至極もっとも
なことだと感じた次第です。
それはその通りなのですが、私もバブル期にはす
でに働いていた身には、昭和の清算が平成の時代だ
った事にはとても共感、納得を感じています。私個
人ではまだまだ少ない給料で、バブルの様相は他人
事の様でした。多くのキャッシュも持ったこともな
く、ディスコで入り浸ったこともなければ、ジュリ
アナやマハラジャなどは名前だけを知っていたもの。
貯金もなく、夜になれば東京の一人暮らしで安酒を
呑んで、寝入ったものです。しかし、世の中はご存
じのように、バブル崩壊後は大きく変動しました。
処方としての規制緩和、これはアメリカの新自由主
義を標榜したグローバリズムで、国内では多くの規
制が取り払われました。そして始まったデフレ経済
とデフレ対策による大幅な金融緩和。庶民、個人の
賃金はデフレで下がる一方で、ジャブジャブのお金
は市中に出回り、お金が商品となって利益となるお
金を生むという現象が生じ、一部の大手企業はグロ
ーバリズムの恩恵を受けて、過去最高の利益をはじ
き出している。非正規労働者が増え、貧困層という
新しい言葉が生まれ、中間層は細り続ける。グロー
バリズムに含まれていた、人々の移動の容易さが、
迎え入れる側の余裕の限界を超え、結果エゴイズ
ムが生まれ、セルフファースト思想(自国第一思想)
が声高に叫ばれ出しました。この流れの行きつく先
は保護主義になり、保護主義の流れはその道の途切
れを見つけることなく、戦争となることは歴史が
証明している・・・ような意見が出ている新年。
暗いことばかりではなく、ITの発達により、
IoT、AI、ロボットなどの科学の発達が歴史の
不連続点のように出現している現在。人類にはさ
らに無限の可能性が感じられる・・・ような意見
もパラレルに出されています。
どうなる事やら。極度に悲観的になっても仕方が
ないし、かといって底抜けに楽観的になってもいけ
ない。ただ、自分ができる目の前のことを確りとや
っていくしかない。自分にできることを行うことが
原点であることを、改めて改めて感じる正月でした。
皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
どうぞよろしくお願いします。
今年は2019年、平成最後の年となりました。4月に
は新元号が発表され、平成の時代は終わります。平
成の時代、30年。平成が終わることでテレビや新
聞などのメデイアでは平成の時代とは何だったのか、
との内容が多く特集されました。その多くは「昭和
のつけ、清算に費やした時期」だったというもの。
今朝のサンデーモーニングでも同じ内容が伝えられ
ました。その中で若いコメンテーターがなるほどと
思ったことを述べています。「平成の時代がどうで
あったか、と考えるとその多くが昭和からの連続で
考えているのは、これらを企画している人たちが昭
和の人たちであったという事。それもバブルを経験
して、その流れで平成を語っているから」・・・だ
った内容のことを言っています。なるほど、と。平
成の時代で成長した人々に語らせれば、また違った
平成が浮かび上がってくるというのは至極もっとも
なことだと感じた次第です。
それはその通りなのですが、私もバブル期にはす
でに働いていた身には、昭和の清算が平成の時代だ
った事にはとても共感、納得を感じています。私個
人ではまだまだ少ない給料で、バブルの様相は他人
事の様でした。多くのキャッシュも持ったこともな
く、ディスコで入り浸ったこともなければ、ジュリ
アナやマハラジャなどは名前だけを知っていたもの。
貯金もなく、夜になれば東京の一人暮らしで安酒を
呑んで、寝入ったものです。しかし、世の中はご存
じのように、バブル崩壊後は大きく変動しました。
処方としての規制緩和、これはアメリカの新自由主
義を標榜したグローバリズムで、国内では多くの規
制が取り払われました。そして始まったデフレ経済
とデフレ対策による大幅な金融緩和。庶民、個人の
賃金はデフレで下がる一方で、ジャブジャブのお金
は市中に出回り、お金が商品となって利益となるお
金を生むという現象が生じ、一部の大手企業はグロ
ーバリズムの恩恵を受けて、過去最高の利益をはじ
き出している。非正規労働者が増え、貧困層という
新しい言葉が生まれ、中間層は細り続ける。グロー
バリズムに含まれていた、人々の移動の容易さが、
迎え入れる側の余裕の限界を超え、結果エゴイズ
ムが生まれ、セルフファースト思想(自国第一思想)
が声高に叫ばれ出しました。この流れの行きつく先
は保護主義になり、保護主義の流れはその道の途切
れを見つけることなく、戦争となることは歴史が
証明している・・・ような意見が出ている新年。
暗いことばかりではなく、ITの発達により、
IoT、AI、ロボットなどの科学の発達が歴史の
不連続点のように出現している現在。人類にはさ
らに無限の可能性が感じられる・・・ような意見
もパラレルに出されています。
どうなる事やら。極度に悲観的になっても仕方が
ないし、かといって底抜けに楽観的になってもいけ
ない。ただ、自分ができる目の前のことを確りとや
っていくしかない。自分にできることを行うことが
原点であることを、改めて改めて感じる正月でした。
皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。