2019年11月05日

君たちは奇跡だ!

‘君たちは奇跡だ’

 秋の気配が漂っている昼下がりの数学の授業。40年以上も前のこと。

陽だまりに佇んでいた教師は突然に言い出した。その先生は我がクラ

スの担任で、背が低いせいか、手振りや身振りをやや大げさにする。

私は決して数学では成績の良い生徒ではなかったが、数学は嫌いで

はなかった。何を突然と、私は顔をあげて先生を見ると、先生は跳

ねるように教壇に上り

 「何万と言う種から、君たちは生まれて、そしてまた何万と言う

中から一緒にこの教室に集まって授業を受けている」

 その理屈は全くその通りなのだけれど、‘何を大げさな’と若い

その時は一蹴した。その後の数学の授業は何を聞いたか覚えていない。

 高校・大学を卒業し、社会に出て、30歳の声を聴き、人生の盛り

に突入しだした頃。高校3年の時の体育祭の応援団をやっていた

数人が八ヶ岳麓のO君の家に集まろうとなった。大阪からは私と

K君。名古屋からT君、茨城からI君。O君は医大を出て医者

になり、この地域の総合病院に勤務していた。現在では某週刊誌で

日本の名医にも挙げられた人物。そのO君が集まった我々に

 「ここに集まれたのは奇跡だ」

と突然に言い放った。仕事柄彼は、様々な患者を診ていて、人生を

終える人を数多く見ていたのだろう。そんな蓄積が心の纏のよう

になって体から自然と出たのかもしれない。O君の言葉もその時は

‘何を大げさな’とは多少思ったのだが、言っている事には何も間

違いではないので、聞き流しながらコップに酒を注いだ。

 還暦を迎えた高校の同期の同窓会が昨日行われた。約450人いた

同級生で参加人数が200人強。数としては良く集まったのではないか。

各クラスから都合のつく約20人が幹事を行い、昔のアルバムや名簿を

引っ張り出し、また便りを伝って、可能な限り連絡をとり、集まった人

数。40年強ぶりの人もいれば、「初めまして」の人もいる。昔ながら

の「変わってないなあ」のものや、新しいイメージに装いを変えた者

もいる。卒業後40年も年も経てば昔の印象は変わっているのが当たり前で、

人それぞれの様子だ。

 写し出された昔のスライドを見ていた横にいた友人が

「切ないな」と呟いた。同窓会で昔を偲ぶことはそういう事

なんだろう。失われし時だから、求めることはできない。

偶然に生き続けるとことは「切なさ」を生じさせるものか

と一瞬感傷的にはなったけれど。それ以外はお祭りでお酒

と懐かしい話にまみれて、楽しい時間でした。

 高校30期の皆さま、「連続する奇跡」に握手をして、また次

回会えるまで、‘乾杯!!!’
posted by P.S.コンサルティング at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記