2018年12月18日

父の車

 父は私がまだ20代半ばで亡くなった。私は4人兄弟で一番下の妹はまだ

高校生で、父が54歳の時だった。父は町工場の社長で決して楽な経営で

はなかったが、今思えば良い時期も数えるほどはあったかもしれない。

 その父の思い出がいくつかあるが、車のことが一つ、今思追いだされる。

 父は決して高価な車には乗らなかった。乗ろうと思えば乗れたのではな

いか、とは今思っている。晩年乗っていたのは、今は無き日産サニー。

良い車ではあったと思うが、トヨタはコロナやクラウンを出していて、

もっとよい車はあったかと思う。記憶は定かではないが、私が小さいこ

ろに家族で乗っていた車は確かブルーバード。この車も信奉者がいる

ぐらいの良い車であった思うが、これも日産は生産をすでにやめている。

父の車は日産が続いていたと思いだす。付き合いで購入したかもしれない

車だが、父が乗り続けたメーカーだ。その日産が世間を賑わせている。

 日産は青い目?(鳶色?)の社長が来る前、国から見放されたメー

カーだ。技術は日本の誰もが疑わない素晴らしいものだ(と聞いている)。

GTやフェアレディZなど日本の名車と言う以上の日本のシンボルだっ

たと思える。経営が成り立たず、日本国から見放され、フランスの力

を仰いだ。規模は日産の方がはるかに大きなものだった。日産の凋落

と復活は数多くのニュース、著作、分析書で報告されている。簡単に

言えば、知ったかぶりのコンサルタント風に言えば、ガバナンスの

欠如である。部署と部署の調整の不足、個人同士のやっかみと足

の引っ張り合い。とても属人的な要素だ。一方トヨタは豊田家の力が奏

していて、世界最大の自動車メーカーとなった。(だから創業家経営が

ベストだと言っているわけではない)日産を復活させた青い目の社長は

今、塀の中だ。些細な知識しか持たない私にとっては、その逮捕理由が

いまだに理解できない。確定はされているが、もらっていない報酬の記

載漏れだということだが。報酬は貰って初めて税金が発するはず(ここ

が法人税と異なる)。確定はしたが、もらっていない報酬の不記載に何

の罪があるのだろうか、などと考えてしまう。社内クーデターと見る向

きもある。クーデターを構成する日産の人々は青い目の社長によって復

活した恩恵を受けてきたものではないのか、どうだろう。恩恵を受けた

からと言って罪を犯したものを見過ごせと言っているわけではない。ど

こかの球団と一緒で内紛はお家芸なのだろうか。

 父が日産の車を一番だと思っていたかどうかはわからない。私は父と

違い日産以外の車に乗っている。日産の車が嫌いだからではない。自分が

好む車が他メーカーにあるからだ。そういえば、父が逝った後に残された

町工場は内紛がありながらも、後継者が育たずに閉めた。内紛で会社が

つぶれるわけではないが、(他人の手に移ることはよくある)現場の人

間はげんなりで「いい加減にしてくれ」と言った心境ではないだろうか。
posted by P.S.コンサルティング at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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