皆さま、あけましておめでとうございます。本年も
どうぞよろしくお願いします。
今年は2019年、平成最後の年となりました。4月に
は新元号が発表され、平成の時代は終わります。平
成の時代、30年。平成が終わることでテレビや新
聞などのメデイアでは平成の時代とは何だったのか、
との内容が多く特集されました。その多くは「昭和
のつけ、清算に費やした時期」だったというもの。
今朝のサンデーモーニングでも同じ内容が伝えられ
ました。その中で若いコメンテーターがなるほどと
思ったことを述べています。「平成の時代がどうで
あったか、と考えるとその多くが昭和からの連続で
考えているのは、これらを企画している人たちが昭
和の人たちであったという事。それもバブルを経験
して、その流れで平成を語っているから」・・・だ
った内容のことを言っています。なるほど、と。平
成の時代で成長した人々に語らせれば、また違った
平成が浮かび上がってくるというのは至極もっとも
なことだと感じた次第です。
それはその通りなのですが、私もバブル期にはす
でに働いていた身には、昭和の清算が平成の時代だ
った事にはとても共感、納得を感じています。私個
人ではまだまだ少ない給料で、バブルの様相は他人
事の様でした。多くのキャッシュも持ったこともな
く、ディスコで入り浸ったこともなければ、ジュリ
アナやマハラジャなどは名前だけを知っていたもの。
貯金もなく、夜になれば東京の一人暮らしで安酒を
呑んで、寝入ったものです。しかし、世の中はご存
じのように、バブル崩壊後は大きく変動しました。
処方としての規制緩和、これはアメリカの新自由主
義を標榜したグローバリズムで、国内では多くの規
制が取り払われました。そして始まったデフレ経済
とデフレ対策による大幅な金融緩和。庶民、個人の
賃金はデフレで下がる一方で、ジャブジャブのお金
は市中に出回り、お金が商品となって利益となるお
金を生むという現象が生じ、一部の大手企業はグロ
ーバリズムの恩恵を受けて、過去最高の利益をはじ
き出している。非正規労働者が増え、貧困層という
新しい言葉が生まれ、中間層は細り続ける。グロー
バリズムに含まれていた、人々の移動の容易さが、
迎え入れる側の余裕の限界を超え、結果エゴイズ
ムが生まれ、セルフファースト思想(自国第一思想)
が声高に叫ばれ出しました。この流れの行きつく先
は保護主義になり、保護主義の流れはその道の途切
れを見つけることなく、戦争となることは歴史が
証明している・・・ような意見が出ている新年。
暗いことばかりではなく、ITの発達により、
IoT、AI、ロボットなどの科学の発達が歴史の
不連続点のように出現している現在。人類にはさ
らに無限の可能性が感じられる・・・ような意見
もパラレルに出されています。
どうなる事やら。極度に悲観的になっても仕方が
ないし、かといって底抜けに楽観的になってもいけ
ない。ただ、自分ができる目の前のことを確りとや
っていくしかない。自分にできることを行うことが
原点であることを、改めて改めて感じる正月でした。
皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2019年01月06日
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