豚が商店に屯し、食物を貪っている。犬は野犬化し徘徊する。人の声は聞こえない。
しかし人間が住む建物だけが残っている。津波に潰され、放射能に追われて人が誰
もいなくなった街である。このような街を死の街と言わずに何というのか。
新内閣の閣僚が東北の現場を訪れ呟いた。死の街、だと。それがその人の感想だ
ったのだ。虚心坦懐な感想だったのではないか。死の街をこれからなんとかしない
と思ったではないか。それが悪いことなのだろうか。自身の決意を表現する言葉だ
ったのだ。この言葉をどうしてマスコミは問題とするのだろう。これに併せてかの
大臣が言ったのは‘放射能つけちゃうぞ’。これが悪ふざけであるのは確かである。
不謹慎だったことも否めない。だと言ってマスコミが取り上げるべき言葉なのだろ
うか。こんな話がある。近所の旦那さんが奥さんと違う女性と楽しそうに話してい
るのを見かけた女性がいる。この女性は近所のこの旦那さんの奥さんにこのこと
を話した。奥さんが知らなかったことである。奥さんは知らないでよいことを知
らされて、この夫婦は喧嘩になり、離婚をしまった。ただ友達として知り合いの
女性と食事をしていただけなのに、である。御進言した女性は自分の正当性を少
しも疑わず、正しいことをしたと自己正当化している。これほどに真実を話した
いというのならば、この御進言した女性に言ってやればよい。お前の顔は醜く、
すれ違う人はすべてその日一日いやな気分になる。お前は毎日、毎日、外に出な
いほうが世の中の為だと。
決意を決める感想を述べただけのものと、悪ふざけで言っただけのものだ。ど
うしてこんなことをマスコミは取り上げるのだろうか。被災で苦労をしている人
々を苦しめるだけだろう。それに新内閣のスタートにも冷水を浴びせることとな
るし、さらにはまた復興における働きかけが遅れ始める。私はこのような言葉を
発した閣僚が好きとか嫌いとかいうものではない。どちらかと言えば印象的には
好かないタイプだ。
民放テレビも低俗で見るべき番組が稀になっている。下らない言葉だけを摘み
あげ、広げる記者連中のレベルの低さによっても、この国の災いは拡散している。
2011年09月11日
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