某首都のトップの息子さんが(野党のお偉いさん)がアメリカのグランドゼロの事件
は歴史の必然だと仰られた。9・11のおかげでその国の国債の格付けが下がり、世界
は混乱している。世界政治については造詣が深いわけではないけれど、テロを容認す
るような政治家の発言にはクビをかしげる。一方有名な学者が文明の衝突として訴え
ているようにアメリカ対イスラムという対立軸においてはアメリカにおける痛手も必
然というのは否定できない。イスラムにおけるアメリカの行為の数々は表に出てこな
いだけで、ヘゲモニー(覇権)の表示行為として捉えられても仕方がない。ヘゲモニ
ーの表示行為に対して反発、反抗する人々が出てくるのも当然だろう。しかし、テロ
はいただけない。一般市民に対してもアメリカ軍は攻撃を加えているのではないか、
という紛れもない事実はあるけれど、それはテロとはいえない。戦争場における民間
の死傷はいつも軍隊・兵隊とともにあった。アメリカ軍も太平洋戦争における日本領
土の大空襲も多くは民間の戦意を喪失するために行ったという点では主として民間人
を狙ったのだ。まあ、戦争時におけるアメリカの大空襲と戦時下ではない9・11のテ
ロとは違うのだ、という意見もありそうだ。ただ、戦時下と思っていないのはアメリ
カだけで相手は戦争の真っ盛りだと思っているかもしれない。とすると戦時下である
アメリカの相手国のアメリカ国にいる民間人に対する攻撃行為は、アメリカが日本にし
た行為のごとく一部の理が生まれてくるかもしれない。
(この辺りは国際法として難しいところだ)
9・11でなくなった無辜の人々は、言葉に表せないほどに悲しくて残念だ。私の知り合
いもグランドゼロの近くで住んでいたことがあったといって、声を曇らせていた。実
際にテロはなくなって欲しいという思いは誰の心にも常にあるのではないか。
かの野党の政治家が、テロが必然といったわけでは決してないだろう。文明のバラ
ンスの調整として必然だといっているのだと想像する。しかしまあ、与党野党に限ら
ない言葉の危うい使いかたはきっと日本の政治家の薄さを反映しているのだろう。薄
い政治家ならば言葉が軽くなるのはある意味必然だろう。
2011年09月12日
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