2012年01月08日

パンがなければケーキを食べればよいのに

パンがなければケーキを食べればよいのに、という言葉は民衆に倒された一家

の娘がいったといわれる言葉だ。娘が言ったのは食うに困っている民衆に対し

てである。この言葉が民衆に対して大きなエネルギーを与えたともいわれる。

娘は民衆の生活をまったく知らなかった、また知ろうとしなかったのである。

娘はパンがなかった時にはケーキを食べていたのだろう。この言葉を聞いた

民衆の怒りを誰が抑えることができるだろうか?民衆の怒りが収まったのは

その娘の一族をギロチンに送った後である。

 我々は近代国家の市民(シチズン)として暮らしている。日本は世界の中で

もなんだかんだと言っても最も幸せな国の一つである。お店に行けばパンも

ケーキもある。最近のパンやケーキは本当においしくなった。それも安い値

段で買える。あるコンビニストアでもその先の別のコンビニストアでも購入

できる。パンやケーキは税金を納めた後で我々は買える。働いた糧は税金を

納めた後の所得として我々の手元にあるのだ。手元に残るお金で市民である

我々は暮らしている。手元にたどり着く前に徴収されるのが税金である。こ

の税金で支えているのが公務員だ。公務員はこの我々の税金で暮らしている

のだ。小学生でもわかるレトリックで言えば、我々民間人の税金で暮らす公

務員が民間レベルよりもはるかに豊かであることはどうなのだろうか?正し

いか正しくないかは問わない(レベルというのは平均ととらえてくれもよい

だろう。もちろん優秀な公務員は高い報酬をとるべきだという意見には異論

がない)納める民間人が納得いくかどうか、である。バスの運転手の平均年

収が民間よりも20%も高い。バスの運行を進める道路整備を行う人々(約1

kmのバスの道路を整備するのに凡そ7人。働くのは1日5時間ぐらい)の年収

が1000万円と言われる。
(こういう報道がテレビであった。異なっているところがあるかもしれない)

これで納得する市民がいるのだろうか?これは大阪市役所のことである。尋ね

たマスコミに担当者が言うのが奮っている。

「これまでは(大阪市)市民の方が聞けば、納得できないようなことがあったか

もしれない」

これは一体何なのだろうか?

我々は生活が苦しくともパンも食べることができればケーキも食べることが

できる。幸いなことである。しかしそれは精一杯働き(少なくとも道路整備者

の働きよりは我々市民は2倍から3倍働いているだろう)生活をやりくりしてい

るからである。市民の感情が収まるために彼らがギロチンに送られることはな

いだろう。ギロチンに送る代わりに彼らをウオッチするというのはどうだろう。

彼らは大阪の地下鉄にもバスにもゴミ収集車付近にいる。何よりも中之島に行

けば彼らをウオッチすることができる。民間常識の欠けた彼らの姿を。自分

達の気持ちを納めるのは自分たちが彼らをウオッチして行くしかないだろう。

posted by P.S.コンサルティング at 12:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
公営ギャンブルの選手は、客の出したテラ銭で生活してます。が、彼らの生活はどの客よりも良い。なのに、そのことに客はなにも言わないのは何故なのでしょうね。
Posted by tamaso at 2012年01月10日 23:01
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