2013年12月03日

馬脚

来年の干支は馬。‘ひひん’と天に向かっていななく姿は勇壮

そのものである。狩猟民族、農耕民族という捉え方はその糧の取

り方を表しているのだろうが、同じく民族を表す言葉にある騎馬

民族の「騎馬」はやはり糧の取り方を表したのだろうか。移動の

手段を表したのはないのだろうか。騎馬民族はチンギスハーンを

生んだモンゴルが有名だが、狩猟民族は荒々しく、農耕民族は諍

いなく、騎馬民族は勇猛というイメージが似合う。狩猟民族は獣

を相手に、農耕民族は草木を相手に、騎馬民族は人間を相手に駆

け巡って来たように思える。さて、この馬、イメージは勇ましい

のだが、これに人がかかわってくると様相が少し異なる。

好調を博してきた者がここに来て、馬脚を現している。日本の都

の知事と軍事オタクの政治家。日本の都の知事はとある筋から無利

息無担保無保証で5,000万円を借りた。庶民では天地がひっくり返

っても考えられないことだ。とある筋の政治家が選挙法違反で手が

後ろに回った。それを知って日本の都の知事は急いでその5,000万

円を返済した。借りた日は都の知事選挙の登録の前日だったか(そ

の辺り)。とある筋とは医療業界を裏で支配していると思えるよう

な(?)筋で、トップの方は重症な病人なのか、車椅子でギョロッ

とした目しか動かないお方。その方は「(このお金)足のつかない

ように・・・」と言ったようで。私は都の知事の方の著作をいくつ

か読んでいて、どこか応援していたのに残念な気持ちが堪らない。

足のすねに傷がついた。

そして軍事オタク。カメラの前では,常に相手を圧倒するような物の

いい方。相手を見据え黒目を動かさず,相手を言い含めるように一語

一語ゆっくりとゆっくりと話す。これだけゆっくりと丁寧に言えば,

さすがのあなたもわかるでしょ、と言いたげに。そのオタクがデモ隊

の大きな声はテロ相当であると宣った。認められたデモは市民の正当

な権利である。大きな通りをデモ隊が歩き、主張を訴えれば自ずと声

は大きくなるだろう。住宅街を回っているのではない。デモ隊が回る

のは往々にして、目抜きの大通り、もしくは霞ヶ関の官庁街などであ

る。その官庁の中に陣取っている人々に自分たちの主張を聞いてもら

わねばならない。拡声器等を使うのは勿論限度があるにしろ当然であ

る。現在はこのテロがキーワードの一つだ。秘密保護法案たらを政権

与党が民主的な議論を十分に行わずに数のチカラで通過させようとし

ているからだ。この法案、稀代の悪法でしかないと私は見ている。こ

の法案が通れば国民の知る権利は殆ど死に体となるのではないだろうか?

自分たちに都合が悪いものをテロと定義づけるような危ういオタク

様。今自分たちがなんでもできるというおごりが見えたようだ。

 どちらともに馬脚を現したようで。馬脚から覗かれる隠れた本性

がどんなものか。都民、国民は十分に注視しなければならない。
 
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2013年11月29日

おいしい生活相談

生活相談員は昔からいたそうだ。私の親の世代は生活相談員と言えば、

民生と呼ばれる人たちと同義ではなかったかな。(違うかもしれない)

50年代60年代70年代、戦後はもう終わったと国はうたっても、まだそ

こかしこに戦後の名残はあり、昭和の真っ只中という時間だった。戦

後の高度成長を日本国はひた走り、国民は総中流を目指した。民生の

相談にあやかることは貧しいことの代弁で恥ずかしいこととして人々

は噂していた時代だ。

それが漸く70年の大阪万博をピークの始めとして、日本は世界に対し

てNO1と言われるようになった。その頃に新たに出てきた生活相談

員がいた。

 その相談員はアメリカ人で蝶ネクタイをして、おいしい生活相談員

と名乗り机に座っていた。アメリカ人はウッデイアレン。アメリカを

代表する、また全世界的な映画を始めとした文化人である。ちょうど

私が大学生の頃だ。おいしい生活は世の中を席巻した広告で、日本の

テレビ業界の隆盛が始まった頃だ。おいしい生活相談員は戦後の貧し

さなんかどこかに捨て去った生活を推奨して、アメリカの50年台、60年

代を彷彿とさせる消費生活を世間に促していたのだ。この言葉の生み

の親は糸井重里氏である。そしてこの広告を打ち出したのがセゾング

ループだ。セゾングループ勿論西武の関係である。鉄道が新宿と池袋

を起点にして、東へ(埼玉)と向かう線で、東急電鉄や小田急電鉄と

違い、ダサいイメージが張り付く路線だった。その西武がそのダサい

イメージをひっくり返そうとして若者の街渋谷に進出した。パルコで

ある。パルコはパーク(英語:公園)のイタリア語読み?だった、か

と思う。西武の渋谷パルコが若者文化を刺激し、次々と作り出した。

その時の事業者が堤清二氏。鉄道の堤義明氏とは異母兄弟で、不仲の

兄弟だと世間では言われている。堤清二氏は政治家、文学者、事業家

と様々な側面を持っていた。政治の顔は、一時は共産党に入党したこ

ともあって、強い思い入れがあったらしい。(その後離党をした)文

学者としての能力も高く、辻井喬のペンネームで数々の賞を獲得した。

事業の傍ら文筆活動にも注力していた。新作も不断に上梓されていた

ように思う。堤清二氏がなくなった。氏の功績はそれこそ数多いもの

だろうけれど、中でも一番は日本人においしい生活体験をさせたこと

ではないか、と私は思っている。その後日本はバブル崩壊、失われた

20年、リーマンショック、長期デフレに悩まされていったが、ここに

来て漸く日本経済復活の兆しが世界的に出てきた。彼が提供したおい

しい生活当時の高揚感がまとわりつく消費活動の復活は簡単ではない

けれど。彼がなくなった日に日本経済の復活が新聞紙面に漂うのも何

かの縁ではないか、と。
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2013年11月15日

いろいろ

明け方から土砂降りの降っていた雨が午後には上がり、私の

事務所の窓からは雲が見えないぐらいに空は青く広がってい

る。今年は夏が遅くまで陣取って居て、秋は冬にさし抜かれ

たようで、もう冬が近くまで攻めてきているようだ。個人的

にはもう少し秋を楽しみたいと思うところだが、冬の早い到

来もまたそれはそれで良し、だ。

 この秋になってなぜか懐かしい頼りがいくつかある。2週

間後に予定されている高校の同窓会のことを気にかけていた

ら、偶然に高校の同級生二人とあった。この二人は2週間後

の同窓会には連絡が届いていない二人で、同窓会のことを話

したら「へえ、俺のところには連絡がない」という話だ。二

人のうち一人は8年前にあったのだが、もうひとりは高校の

卒業以来35年ぶりだ。さらには、今日11月15日だが、大学

の校友会に出る予定をしている。早稲田大学の大阪支部の校

友会なのだが、私は初めて参加をする。それが昨日、それも

大学の卒業以来(卒業して32年)ごくわずかして会っていな

い友達からFaceBookで連絡が来たのだ。連絡を返し

たら、偶然に私の名前を見つけたらしく、懐かしくWebで

連絡を送ったという。歳月を重ねた容貌だが、美しさは十分

に現存している。誰もがそうだろうけれど昔の友達に何十年

ぶりに会う機会を持つ。それぞれにまたいろいろに人生の時

間を過ごしてきた。元気で古い友達にまた会えることはやは

り喜びである。

 また会えることが叶わない人たちも多くいる。「人生いろ

いろ」の歌で、私は存在している、と強くメッセージを発し

た歌手の島倉千代子さんが亡くなられた。年齢は70歳を超え

ていたと思うが。テレビの中や雑誌の紙面で見ない歌手が死

んでも実際に実感が湧くわけでもなく、悲しい感じも別にな

いのだけれど、芸能ニュースを賑わす彼女の人生の経歴を見

るとなぜか手が止まったり、言葉を飲んだりする。結婚生活

や生活の苦労がやはりどこか突き抜けている感じがするから

だろう。16歳でデビューの美空ひばりとならぶ国民的歌手、

3度の妊娠中絶、15億の借金、ガンの発見。どれもがその振

幅が普通の人よりあまりにも大きいからだろう。彼女のヒッ

ト曲「人生いろいろ」は国会の答弁にも使われたし、流行語

にもなりそうなフレーズである。いろいろな人々がいるので、

いろいろな人生は当たり前なのだけれど、自分たちが42.

195キロのマラソンを走るような人生だとすると、彼女の

道のりは山道の42.195キロではないかと。まあ、それ

も想像の域を出ないものだけれど。

 天皇に公衆の面前で手紙を平気で渡す国会議員。その国会

議員を平然と公に殺すと宣言する輩達。数十億もの他人の金

をくすねて女にみつぎ、結局は裸の無一文な男。高齢者のお

年寄りから集団を組んでお金をだまし取る連中。原発事故の

元凶を作っておきながらさっさと海外に逃げて安穏とくらす

連中、などなど。確かなことはいつの時代にもいろいろな連

中がいるということだな。
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2013年11月05日

市内逍遥

11月の3連休。旅行に行くのも大層だし(お金もかかるし時間もかか

る)家の近郊を散策することにした。近郊といっても1日目は小一時間

ほど車に乗って芦屋周辺を散策。このあたりの阪神間は大正時代に阪

神モダニズムと称せられることもあったほどの地区である。また西宮

から芦屋には独特の言葉文化もあると聞いた。大阪弁でも神戸弁でも

ない標準語に似た言葉があるそうだ。(これはテレビのドラマでもそ

うらしい。生粋の阪神間育ちの人がなめらかに標準語を使う場面があ

るそうだ)地方で標準ごと言うと、計画都市として造成された札幌が

思い浮かぶが、阪神間はれっきとした土着の人々である。その人たち

が標準語に近い言葉を喋ろうとは、さすがに高級住宅街芦屋近辺に住

む人たちが独自の言葉を作ったのかもしれないと想像する。この3連

休は前線の影響で暖かかったり寒かったりが一日の中でめまぐるし

く変わる。夙川沿いを少し暑いなと思って歩いていたと思ったら、

甲陽園から芦屋に行く途中では雲が陰り、寒い風が頬を伝った。駅

についた頃にはまた暖かな日差しが顔に照りつけた。全国有数の

住宅街であるこのあたりは、街並みには行政も住民も同時に心配

りがあるようだ。散歩をするにはやはり良い町並みだ。

 1日おいて次の日。民団の堺支部のイベントで百済人を訪ねて堺

市内を散策することがあった。堺市には百済村があったらしく、今

では明治や昭和の時代の区画整理のおかげで町名はなくなった。

百済町は北条町ともうひとつの名前の町になった。それでも百済

という名前は堺市のある地帯ではあちらこちらに見かけられる。

百済川、百済橋、公立中学校の門には百済門、八幡宮の寄進の石

柱には百済町。確か京都にも百済という地名があるそうだが、始

まりは堺かららしく、堺から京都へ広がっていったと言う。私も

知らなかったのだが、堺は大和(奈良)に向かう際の海の玄関だ

ったらしい。堺に流れる石津川を上って堺から大和へ物が運ばれ

たらしい。ここからモノの始まりはみな堺と言われるようになっ

たらしい。また堺は和泉・摂津・河内の三国の境にあり、境目の

ところで多くの営みが行われたという。これらの要因と応仁の乱

で主要港(琉球との往来)が神戸から堺に移ったことも踏まえて

堺は発展したらしい。中世の自治都市堺が現れた理由とのこと。

知らなかった。その後鉄砲の製造で隆盛を極め、その後豊臣に焼

かれ、太平洋戦争で焼かれて現在の堺に至ったという。多くのこ

とが知らなかった。兎にも角にも、境にある古墳群の造成に百済

人(びと)がその高い技術を提供したというのは本当に発見であ

り、地元に住む私にはとても新鮮だった。古代に大きな思いを馳

せた秋の一日だった。
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2013年10月16日

アメリカの圧力と日本の配慮

私が小学校に入学した年は昭和42年。もう45年ほど前になる。その当時には

既に給食があって、私が入った小学校はその給食の時間に皆がエプロンをか

けるということで、地方の新聞にエプロン姿の児童の写真が掲載された。高

学年の児童の写真だったと思うが、配膳係り、男女を問わずにエプロンをす

る。男の子は最初恥ずかしく思った子も多くいたという。給食の主食はパン

食であった。このパン食は太平洋戦争の勝者のアメリカが自国の小麦の販売

を促進しようとして、日本政府にパン食を強要したらしい。このあたりのこ

とは多くの著作やニュース、テレビ番組にもなっているので間違いがないだ

ろう。私はパン食が嫌で(別にパンが嫌いというわけではない)なぜご飯が

出てこないのだろう、といつも不思議に思ったものだ。パン食が出ない、運

動会や遠足の時の弁当の楽しみと言ったら、なかった。弁当箱を開けた時の

のりに巻かれたおにぎりの香り、今も思い返せばよだれが出てくるほどだ。

パン食とご飯のお弁当が交互にあれば良いのに、といつも思っていた。給食

のパンは食パンが出ることはなかった。コッペパンと2個取りパンというや

つでこれが扱いやすかったからかもしれない。(この辺はどうか分からない)

 今の日本ではパンがない生活は殆ど考えられない。喫茶店に行ってモー

ニングを頼むとモーニングサービスでパンのトーストがついてくる。これ

がなんとも美味しい。このサービスは名古屋から始まったと言われるが、

今では全国の喫茶店にモーニングサービスがある。私も8時ぐらいに喫茶

店に入る折には必ずモーニングサービスを頼みパンを食する。このパンの

普及に大きな影響を与えた物語がある。アンパンマンだ。やなせたかしさ

んが戦後の窮状を見て、この話を考え出した。アンパンマンは幼稚園に入

るまでか入ったぐらいまでの幼児向けの楽しくて暖かい話だ。アンパンマ

ンや食パンマン他色々なキャラクターがあるが、この構成は純日本風な構

成だと多くの人が述べている。食パンマンはお腹の空いている人がいれば、

自分の身(食パンの身)をちぎって困った人に与える。この助け合いとい

うか配慮がとても日本風であると言われているのだ。この論に私は賛成す

る。日本の人々の美徳はこの相互配慮にあったことは誰もがきっと賛成す

るだろう。アメリカの圧力から始まったパン政策は日本の作家によって見

事に日本化された。戦後はコメを作るより小麦を輸入したほうが国民の空

腹を克服するには手っ取り早かったということもあったかもしれない。戦

後すぐの日本の人々の空腹の克服には時間がなかったのだ。空腹を克服す

るにはコメも小麦も関係なく、ましてや政治の駆け引きが、関係があろう

はずがない。アメリカの圧力を日本の配慮で包み、見事に物語にしたやな

せたかしさん。やなせたかしさんが鬼籍に入られた。合掌。
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2013年10月01日

戦後の不条理

日曜日の夕方に私はよく散歩をする。近くには川があり、その堤の

歩道を歩いていく。その川は西向きに河口があり、私の散歩をする

あたりは海から1キロメートルほどしか離れていない。晴れた夕方

などは眩しく沈む夕日に向かって散歩をすることになる。この同じ

夕日を彼も浴びていた。彼の名は壱岐正。彼はこの川土手に腰掛け、

夕日を浴びながら立ち上がった。彼は戦後シベリアに抑留されその

後日本へ帰還し、大阪の商社に入った。彼の経歴はベールに囲まれ

ていることが多く、陸軍の将校であったと言われる。その時の人脈

を活かして、大阪の繊維商社を、日本を代表する商社へと成長させ

た。これは小説「不毛地帯」に書かれている話だ。この小説の作者

は山崎豊子。山崎豊子の小説は社会派小説と言われる。実在したも

のをフィクション化して数々の社会派の大作を書き上げた。そこに

存在するのは社会の不条理だと言われることが多い。私も同感であ

る。ある作家が文学が存在するのは人の社会には不条理が存在する

からだと言った。人間の営み、社会の営みが全て論理的にまた合理

的にあるのなら、文学や小説の存在する隙間はないだろう。人間が

作り上げる社会であるが故に文学や小説は存在すると言える。それ

を真正面から告発したのが山崎豊子である。医療の世界、商社の世

界、銀行の世界老舗の世界、中国残留孤児、航空業界等々。同じく

社会の不条理を描いた作家に松本清張がいるが、松本清張とは少し

趣を異にする。松本成長が人間個人の業の世界を追求したのに対し

て山崎豊子はあくまでも社会の中の人間を標的にしているところだ。

だから山崎豊子の話には必ずバックがある。病院組織、銀行業界、

軍隊、大企業、国家などだ。日航の御巣鷹事件を描いた「沈まぬ太陽」

では10近くも組合がある日航の非効率性を上げて事故を描いている。

これは現在人の命を預かるJR北海道が起こしている連続する事故に

も通じる。民営化以降毎年赤字を続けているこの企業に組合が3つも

あるというのだ。さすがに当時の日航の8つや9つだったかの組合の

数には及ばないが、病根は同じではないだろうか?日航もJRも戦後

の政治が産み落とした企業だ。(現在日航は民間企業のトップを招聘

し、企業の体質改善を成し遂げたように思える。しかし、問題はこれ

が企業文化として社内に永続的に根付くかどうか、だ)

 山崎豊子の小説は読む前には少し怯む。大作だからだ。文庫本にし

て一冊が1cmを超える厚みにして、それが2冊も3冊もなる。しか

し、読み始めたら怖気もどこかにとんでいってしまい、読むのが止ま

らない。小市民の想像からはるかにかけ離れた精緻な取材から紡ぎだ

される文章は、極上の料理に似る。食している時には一切のノイズが

耳には入ってこない。ただただ、夢中にさせられるのだ。

 次の日曜日も河口近い川に散歩に行くかもしれない。また西日の夕

日を浴びて、壱岐正が腰掛けた土手に腰をおろして、夥しい数の社会

の不条理の一つでも思いを巡らしてみようか。

 山崎豊子没。享年88歳。合掌。
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2013年09月30日

にぎわい(堺市長選挙について)

私の住む堺市ではあまり学生と出会わない。朝夕に高校の通学生

とは会うのだが、大学生とは出会わない。と言って、堺に大学は

ないかといえばいくつかある。大阪府立大学もあれば、堺女子短

期大学もあるし羽衣学園大学もある。いくつかあるのだ。なのに、

あまり大学生とは出会わない。

「さかいには賑わいがない。遊ぶときはいつも大阪市内に出る」

これは府立大学生の言葉である。

 堺市には賑わいがないのだ。

 昨日堺市長選挙が行われた。現職と新人の戦い。現職市長は初

当選の際、ブームであったら大阪維新の会の橋本府知事の応援を

得て選挙に勝った。その後、橋本徹氏が訴える大阪都構想に反対

して、橋本氏と袂をわかった。選挙に応援を受けながら、当選を

した後、反旗を翻すのはどうかと思うが、当人には当人の考えが

あるのだろう。ちなみに、再当選を果たした竹山市長が高校の同

窓の先輩であり、橋本徹氏は大学の同学部の後輩である。だから

と言って、何もないのだけれど、二人共が同窓であることに薄い

フィルターを通して今回の選挙を見ていた、というわけ。

 私は大阪都構想には大凡賛成だ。大阪の発展には大きな起爆剤

が必要で、それを橋本徹氏は掲げている。是非実践してもらいた

いと思うのだが、プロセスが難しい。というのも、橋本氏自身の

政治過程の拙さと都構想の理解が普及していないからだ。堺は古

い街である。昨日の夕方も散歩をしたが、その散歩道に国の文化

財として指定された民家がある。室町時代に作られた家で応仁の

乱を経て、明治維新を経て、太平洋戦争を経て、今に至っている。

私が幼稚園のときは毎日その家の前を通って通園したものだ。

 堺が発展しているかといえば誰も賛成する人はいないだろう。

中心地駅前の商店街、日曜日に通った人もいればわかるだろうが、

電気が消えたようなロードである。また旧堺市で繁栄していた商

店街はすでにシャッター通りとしてなっている。数年前に政令指

定都市となって市の財政は黒字になったらしいが、街並みは全く

変わっていない従来のママなのだ。堺市の賑わいはどこへ行って

しまったのか、と思えるほどに堺は停滞している。その停滞して

いる堺に‘堺は一つ。堺をなくすな’というスローガンで現職市

長は当選した。保守の街堺の面目躍如というところか。歴史は大

事だ。温故知新という言葉もある。しかし、生き残って行くため

には変化が必要であることは誰もが賛成するところである。堺の

発展を脇に置いて、政治家橋本憎し、と集まった政党の先生方も

多かっただろう。現職市長の言葉には堺をどうしていくか、とい

う内容がなかったからだ、一方の橋本陣営も堺をどうするかとい

った俗にいう青写真は見えていなかった。歴史ある堺は変遷を受

けながら残って来た。これからも変化を受けながら生き残って行

くのだろう。維新の側も堺がなくなることはない、ともっとアピ

ールすれば良かったのにと思うのだが、文字通り、あとの祭りで

ある。

 堺の賑わいが戻って来る日が近い未来にあることを願って止ま

ない。
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2013年09月24日

オ・モ・テ・ナ・シ

半沢直樹が終了した。久々の高視聴率だったらしい。ビジネス的には

続編が当然に考えられる状況である。最後の頭取の事例に反論する人

も多いだろうが、私怨であそこまでやれば子会社出向は妥当な結果だ

ろう。最近は年のせいか民放の番組に耐えられないことが多い。そこ

で別の番組を見るのだが、その番組で父が国の最高責任者のスピーチ

原稿を書く職業についていた青年がいた。父が一生をかけて書いた原

稿の国は消滅した。子供はジャーナリズムの世界に入り、情報を伝え

ている。スピーチライターの腕がその演説を左右するのは自明の理で

ある。スピーチ内容によって聴衆を酔わすか、苛立たせるか、だ。政

治家は大衆の公僕であるので、大衆を酔わさないと自分の立場が危う

くなる。民主社会でも一党独裁でも根本は変わらない。人心を掌握す

るパワーの一つはスピーチライティングである。このスピーチラィテ

イングを外部委託して(書いたのはイギリスのコンサルティング会社

の担当だったと読んだように思うが)日本は東京オリンピック開催を

成し得た。

テーマはオモテナシ。フランス語が流暢で(ペラペラな)特筆すべき

に値するぐらいの美しさを持った元アナウンサーが、手振りをいれて、

オ・モ・テ・ナ・シと訴えた。日本はオモテナシの心を持ってオリンピック

に参加する選手、またオリンピックを機に日本へ訪れる外国人を待遇

するとアピールしたのだ。これが見事にはまった。同じくパラリンピ

ックの選手で東日本大震災の被災者である女性アスリートがいかにス

ポーツのチカラで自分が被災かた立ち直ったかを話していた。こちら

は聴く人の言葉を奪うほどのストーリーだった。日本誘致団のチーム

は見事なプレゼンを開催決定委員会で行った。そして見事に東京での

開催を勝ち得た。これらの素晴らしいスピーチ内容とともに、東京が

勝ち得た要素は放射能汚染に苦しむ福島第一原発を抱くフクシマと25

0キロも離れていると人々を説得したからである。フクシマで今も苦し

む被災者たちはなんと思ったのだろうか?250キロも離れていると説得

に回る人々はフクシマの被災者に配慮したのだろうか?と言ってこの

ような愚問も甚だしい。彼らにとっては東京誘致が至上命題だったの

だから。それはそれ、これはこれ、というところだろう。フクシマの

人たちは東京を支える電力を送り込んでいた装置で苦しんでいる。そ

して東京はフクシマに対する配慮を徹底的に排除したオモテナシで五

輪を誘致した。

もう一度。東京オリムピック誘致は配慮を徹底的に排除したオモテナ

シで勝利した。
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2013年09月18日

国際化について

私はコンサルタントの仕事をしている。その中でも人材育成や組織開発、

人事制度についての仕事をありがたく頂戴している。組織開発は組織目

的や貢献意欲コミュニケーションの強化をメインとし、人事制度につい

ては目標管理(目標達成評価)と賃金制度のリンクを企業様に提供して

いる。人材育成については範囲が広いもので、階層別やスキル別の教育

があり、他のテーマも多くある。その中で私ができないものはグローバ

ル人材育成というものだ。私ができない理由は、簡単で私がグローバル

人として働いたことがないからである。しかしグルーバル人材育成のニ

ーズは今では欠かせないものである。

 日本球界はその意味では早くからグローバル化を行ってきた。日本選

手がグローバル化するというのではなく、外国人選手を早くから登用し

てきたのだ。外国人選手は助っ人と呼ばれて、短期間日本野球でプレー

する。成功した選手もいたが、残念なことに日本の暮らしが馴染めず期

待された成果が残せない選手も数多くいた。メジャーのビッグな選手も

日本には数多く来ている。外国人選手が数多く来ているのに日本野球界

が国際化しているかというと疑問が残る。その代表的なものが王選手が

記録した55号のホームランである。これは1964年(東京オリンピックが

開催された年)に王選手が成し遂げた偉大な記録だ。その記録がとうと

うヤクルトの外国人選手に破られた。その選手は今日の時点でもまだ多

くの試合が残されているので、まだまだ数字を作っているだろう。何年

か前では考えられなかったことだ。王選手の55本に挑戦した選手が何人

かいる。殆ど外国人選手である。彼らがなぜ55本を越えられなかったの

かいえば、日本人の投手が勝負を避けていたからだ。

王選手の55本の記録を外国人選手に破らせてはいけない、ものだったら

しい。勝負を避ける指示は勿論王選手が行っていたものではなく、他の日

本人のプロ野球指導層(コーチや監督)がやっていたのである。それは日

本の野球界のためだったらしい、のだ。私は思い出したことがある。財閥

系の自動車会社の社長の言葉だ。社長は自社の車が人身事故を起こ

して、それが社内で問題になったのに、その問題を隠蔽し続けた。事件に

なり警察に聞かれた社長は言った。「組織のために隠蔽した。私は組織を

守るために隠蔽した」と。車の欠陥で命を落とした人はなんという思いを

するのだろうか?

 日本プロ野球界の偉大な記録を守るために、シーズンの終了まで勝負を

避け続けた。指示した指導層。黙認したトップ連中。これが日本野球界の

発展を促すのだろうか?米国に渡ったイチロー選手は、次々とメジャーリ

ーグの記録を塗り替え、米国人ファンの喝采を得た。今回ホームランの新

記録を献上したのは阪神タイガースの投手だ。「真剣勝負して打たれたの

だから仕方がない」と試合後のインタビューで答えている。見事なコメン

トではないだろうか?

 偏狭な自己保身意識は国際化の妨げになる。他者のタメと言いながら、

結局は自分のためではないか、と疑いたくもなる。若い世代は勝負が真

剣であることが国際化を妨げないことをすでに知っているように思える。

王選手を抜いた記録を次に破るのは、真剣勝負を最後まで貫くプロ野球

選手であってほしい。これがプロ野球の国際化ではないか。
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2013年09月09日

7年と20年

私は今53歳だから7年経つと60歳になる。還暦となるわけだ。生まれて

20年経った頃には自分が60歳の還暦を迎えることになるなんて夢にも

思わなかった。算数的には20歳になるのだから、同じ考えで言えば、

40年経てば60歳になるというのは当然だ。誰もがそうだろうが、自分

に果たしてそんな歳が来るかどうかは全くリアル感のないものだ。

 60歳になる年に東京でのオリンピック開催が決まった。東京、マドリード、

イスタンブールの3都市での2020年のオリンピック招致の争いに決着

がついた。結果を見れば圧倒的に東京が勝利したことになる。3都市

の投票は、まず1回目の投票で一番投票数の低い都市が外される。残

りの2つの都市で決選投票となる。今回は珍しいことが起こった。1回目

の投票で東京が一位で二位が2都市となった。3位がいないので、3位を

決める投票が行われたのだ。東京との最終対決を選ぶ投票だ。この段階

で東京が敗れたという誤報が流れた。3位を決める投票が最終決選投票

と思い違いしたのだ。中国の国営TVだった。

マドリードが3位となって、東京とイスタンブールの決選投票。結果は

ご存知のように東京の圧勝だった。これからの7年間、東京は活気にあ

ふれるだろう。望むべくはこれが日本全体に波及して欲しいということ

だ。バブルの崩壊から日本は長い不景気のトンネルに入っている。

約20年。アベノミクスで少しはデフレが解消され、景気が戻ってきた

というがそれはほんの一部の人達でしかない。20年のトンネルを脱出

するのはまだまだである。この20年の不況の澱を払拭するのに、これか

らの7年の景気高揚感が一番の特効薬ではないだろうか?アベノミクス

3本の矢の効果も否定できないが、まだまだ力が足りない。強烈な力が

必要なのだ。やはり日本には神風が必要なのではないか。2020年東京

オリンピック開催までの7年間が神風のように、祭りの準備の如く人を

酔わせる。7年が20年を忘れさせることを願っている。

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2013年09月02日

秋の訪れ

今日から9月の生活が始まりました。昨日の1日は日曜日だったので、

8月のママが続いていたようで。実質的に今日の2日から9月が始ま

ります。8月のお盆を明けて急に秋めいて、日本列島には秋雨前線

がどっかと本州の上に居座っているようです。史上最高の気温を記

録した(西日本)の夏から数日でこれほどの秋の様子。この移りの

速さには半世紀を生きてきた者も驚かされます。

 驚かされることが幾つか。

 我が家の次男(中学2年生)が初めてと言っていいぐらいに、夏

休みの最終日を宿題のドタバタがなく過ごしました。数日前に、

姉である長女が提案したのですが、夏休み最終日の日曜日に(9

月1日)ランチを家族で外に食べに行こうと。長女は大学生で夏

休みもバイトに明け暮れ、ホット一息の休みを欲しいと思ったの

でしょう。父親の私がいるときっと次男は口数が少なくなると思

うので、私は辞退したのです。野球部の練習で多くの日々を過ご

した次男が承諾しました。カミさんと私は次男の夏休みの宿題を

少し気にかけていたのですが、口にせず3人を送り出しました。後

になって聞いたのですが、クラブの顧問の先生の指導で夏休みの

宿題は数日前に既に出していたというのです。絵画も読書感想文

もテキストブックも。あとは親のコメントだけだったそうです。

かみさんは今朝、次男のテキストにコメントを入れていました。

ドタバタでない夏休みの最終日、驚きでした。

 国の国家予算の概算が出て来ました。現在日本国は1000兆円にも

のぼる借金があります。(中央と地方で)この状態で概算要求が

約100兆円だそうです。はあ、とニュースを読むと目を疑いたくなり

ます。アベノミクスでデフレが解消されつつあると言っても、ま

だ庶民の感覚には程遠い。不況の税収は約40億円強だというのに、

100兆円なんて。この差額は当たり前ですが、借金です。日銀が国

債の発行を受け止めている綱渡りであるのに、です。1000兆円の

借金を返す目処もないのに、またこれほどの借金の申請とは。海

外の目が日本は国民のへの借金を国は返すつもりがないと思って

も至極当然なのではないか。借金を返すことができない破綻国家

になっていく。「こんな日本に生まれて良かった」とはならない

ように切に願うものです。

 アメリカが化学兵器を使用したと思われるシリアに武力制裁の

決定をしたと報道されています。イギリスはこれに議会が反対

し、アメリカの行動には同調しないという決定がなされました。

フランスはどうか。まだアメリカの意向に沿うような状況です。

ロシアや中国はアメリカの行動に反対しています。国連の結果

(調査報告)を待つべきだと主張しているようです。化学兵器

により子供が殺傷されるのは、子供を持つ身にとって胸が引き

裂かれるようです。国内問題として解決していくのか、アメリ

カが世界の警察としてシリアに武力制裁を実行するのか、人類

はまた難しい問題に直面しています。傷ついた子供たちが1日

も早く回復しますように。

 
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2013年08月13日

逃げ出したい?

8月13日。今日も暑さが続く日本列島。プールも海水浴も良いけど、

そこまでに動くまでの暑さがこたえる。クーラー冷えひえの室内で

は、体が変調をきたしてしまう。室温を低くしすぎたり、少しゆる

めたりしてごまかし、ごまかし室温を快適に保っているけれど、こ

のようなこまめな体温調整が水分補給と同じく必要だ。どういうわ

けか、最近はあまりに暑いので避暑という言葉が聞かなくなった。

暑い報道に押されて、暑さを避けることが目立たなくなっただけだ

ろうか?それとも今まで避暑地と言われていたところも、この暑さ

に避暑の効果を果たさなくなったのだろうか?軽井沢や那須は避暑

として有名なところであるが、今はどうなのだろう。今朝の全国の

温度図をみても、北海道の一部(知床半島)あたりを除いて、すべ

てが黄色から赤の色使いである。知床半島あたりだけが青色になっ

て、涼感を与えている。それ以外は炎に包まれた色となっている。

 この暑さから逃げ出したいと思うのは私だけではないだろう。

15日お盆には家の法事があるので、結局は、夏は家から離れるこ

とができない。体を動かすことはなるべく早朝に行って、日中は

涼しげな部屋に居るしかない。この酷暑の日本から見事に逃げ出

した人たちがいる。揃いも揃って家族全員で海外移住だ。その人

たちとは東京電力の勝俣恒久会長、清水正孝社長、武井優副社長、

宮本史昭常務、木村滋取締役、藤原万喜夫監査役の面々。見事に

すべての人たちが海外に逃げ出した。この記事がFacebook

にシェアされている。事件の張本人の人たちにぜひ、仮設住宅で

酷暑を過ごしていただきたいとホンの頭の片隅に思っていたが、

そんなものは夢ものがたりにすぎない、当たり前だが。同じ炎熱

の夏にうなされる夢ならば、これらの人たち全員が福島のあの汚

染水垂れ流しの海で海水浴でもしている場面でも出てくれば、と

思うのだが・・・。まあ、我々庶民はこの暑い夏をどこにも逃げ

出すことなくただ過ぎ去っていくのを待つしかない。

 明日は15日のお盆である。ご先祖さんがこの暑い夏に帰ってく

るのを待つとしよう。
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2013年08月12日

お盆休み

今日は週明けの月曜日。普段なら、一週間の始まりで、街は喧騒に包まれ

るはずなのに心なしか、街全体が静かな感じがする。お盆休みに入ったせ

いだろうか?世間の今年のお盆休みはいつもより長く感じられるのは私だ

けだろうか?私の認識ではお盆休みは例年8月13日・14日・15日。今日

の月曜日は8月12日で、土日の休みと3連休の休みに挟まれている。多くの

人が今日を休みにして6連休、または15日の翌日の16日が金曜日なので、

この日も休みを取れば、9連休となる。ガッツリ感のある休みだ。

 今年の夏は例年にもまして暑い。天気予報の解説によると、日本列島

全体が赤く燃え上がっているようで、これは太平洋高気圧が原因してい

るらしい。これは太平洋高気圧のおかげで列島は40度を越す地域があち

らこちらに出ている。私が小さい頃は気温が30度を超えると聞くと気分

はうんざりしていたが、気温の感覚も全く変わった。30度と聞くとなぜ

かホッとするようになった。

 参議銀選挙が終了して、自民党の独裁政権?が可能になって世の中

は変わりつつある。株価が確かに昨年より上がり、アベノミクスの恩

恵を受けている一部のものもいれば、マイナス面を被っている多くの

人々がいる。給料はまだ上昇していないのに、生活に必要なガソリン、

パルプ(紙製品)、電気料金他があがっている。庶民の生活ではこの

暑さとともに悲鳴が聞こえてきそうだ。この暑さとともにただじっと耐

え忍ぶしかないと人々は理解しているようで、それもこの秋以降に想

定される消費税増税についても同じ構造と言えるかもしれない。首相

は粛々とヒロシマ・ナガサキの原爆式典に出席していた、これは毎年

の夏の風物詩となっていて恐らく人々の暮らしを変える効果など望め

ない。福島第一原発の処理については遅々として進まず、殆どの対応

が後手後手になっている。憲法変更で軍隊を正式に認めるようになれ

ば次は核に対する認識に進むのは自明の理で、日本ももうすぐ秋や冬

を迎えるように核保有国となるのは目に見えている。・・・などは熱

にうなされた今日の妄想かもしれない。

 ナチスがなぜ原爆開発でアメリカに敗北したか。こんな内容の本を

図書館で借りてきた。分厚い本である。上下2巻もある。漢字もろくろ

く読めない大臣がナチスを肯定するような言葉を発したが、この内容

を読めば義務教育レベルで国語力が大きく劣っている人でも、同様な

理解をするだろう。原爆とナチスと軍隊と。

暑い夏が続く。
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2013年07月23日

選挙 2013年夏 参議院選挙

夏の選挙が終わりました。いつだったか、はっきりとは覚えていな

いのですが、夏の選挙となれば、窓から選挙員が手を振る応援カー

の五月蝿い宣伝放送とセミの生命力あふれる鳴き声が絡まっていた

ようなイメージが私にはあった。それが今年は選挙カーの五月蝿い

声は印象になく、静かな参議院選挙だった。

 自民党が圧勝した。先の政権交代を成し遂げた衆議院選挙の連続

的な‘その後’と考えれば、自民党が勝つのは誰しもが納得すると

ころだろう。民主党政権から自民党政権位に変わり、自民党政権は

3本の矢を打ち出し、市場株価は急上昇した。市民の意識も段々と

デフレの認識は薄れて行き始めたように報道される。大企業と一部

の建設業とデイトレーダーが、笑をこぼし始めたが、意識が少し変

わったかな、感じさせただけで一般の人々には実感がない。それも

そのはず、自分の懐(給料)は変わらずなのだから無理もない。

 自民党が勝利し、衆議院・参議院のねじれが解消して、自民党の

方針が実現する可能性の高い政権となった。安倍首相の言動・行動

などから、右寄り、右傾化とみるマスコミもいる。近隣諸国に対す

る鏡としてプチナショナリズムがもたげているのは誰もが認めると

ころだろう。この動きに賛同する人もいれば、警戒感を高める人も

いる。双方が存在し、双方が議論を交わすことが民主主義の本質で

ある。この国がどのように進んでいくかは国民が監視するところで

あるが、景気の回復の実現を担保に取れている現政権の意向がこれ

からも多少ならずとも影響するのは確かだ。

 今回の選挙の争点は何だったのだろうか?福島第一原発のうねり

はすでに一部の人のものとなった。新しいことがあればニュースと

はなるが、周囲の人々には遠い存在となりつつある。原発反対とし

てテレビタレント(俳優)が当選したが、彼は政治をやるのだろう

か?それとも一部の活動として原発廃止を促進するのだろうか?政

治の舞台は常に総合的なモノのはずなのに、一部を訴えて政治の舞

台に出る。誰もが分かっているのは、原発はエネルギー史の中では

単なる一過性のパーツでしかないということだ。誰もが危険なもの

はない方が良いに決まっている。ただ、今原発がなくて国は成り立

って行くのだろうか?

また、原発を政府がなくしても安全な原発消去が可能なのだろう

か・・・?

消費税、TPP、3本の矢の成長戦略、第4、第5の矢・・・。年

金問題に代表されるように、深刻であるはずの問題を抱えながらも

暴動が起きないのが日本国民である。暴動が起きない意識と今回の

投票率の低さが、私には底流でつながっていると思えてならない。

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2013年07月19日

「痛くない」をもたらす痛み

私たちは上半身裸になり、列になって待っていた。小学5年生

の時だったか。午前中だったのではないか。事を終えた同級生

が右手で左手の二の腕のある部分を押さえながら部屋から出て

くる。 「痛かった?」 私を含めた数人が、何人もの友に同じこ

とを聞く。痛いのが分かっているのに、自分の不安を少しでも

緩和させようとしていた。出てきた友達の多くが 「そりゃ、痛

かった」 と言うが、中には 「痛くなかった」 というやつも稀に

いる。それはホンの一瞬をごまかす強がりの嘘に過ぎないと私

達は分かっている。怖がりで小心者の私にとって注射は何にも

まして毛嫌うものだった。理由は痛いからだ。

 子供たちにとって注射は絶対的に嫌なものだろう。病院で診

察してもらっている際に、聴診器を当てられているときは、肌

に金属が当たって冷たいなと思うだけだが、それが「注射を打

っておこう」と医師が言った途端に、みるみる顔が崩れて泣き

出す。支えてきた柱が全て溶けたように。こんな子供が大半だ

ろう。理由は先に言ったように、注射が痛いからだ。私は普通

の大半の子供の一人だったと思う。

 この当たり前に痛いはずの注射を痛くない注射にするという

画期的な技術開発を行う中小企業がある。岡野某がトップの中

小企業だ。このオヤジ、他人が作らないものを俺は作る、と宣

言して、マスコミにも頻繁に取り上げられている。痛くない注

射を作っている。原理は夏に出現する蚊を倣ったものだという。

確かに蚊は知らず知らずに人様から血を吸う。血を吸わないと

彼らが死んでしまうからだが。血を吸うときに蚊は人の肌に針

を打つ。(実際は針か口の先かわからないが)とにかく、肌に

何かを刺す。そして刺したものの管を通して血を吸う。これを

ヒントに痛くない注射を作っている。その途中のものをテレビ

でみたことがある。蚊の口先に管ぐらいに細い注射の針だ。こ

れが実現し商品化すれば、痛くない注射が忽ち広がり、子供た

ちの大きな憂鬱の一つが世の中から消えてしまうだろう。これ

は紛れもなく、喜ばしいことだ。

 ところがこの痛くない注射針を開発する会社が脱税で告発さ

れた。追徴金にはすでに応じたというが、記事によれば5年間

ほどさかのぼって架空の費用を計上していたらしい。虚偽申告

の脱税をしていたのだ。痛くない注射を開発するのにお金が必

要で脱税していたのか、と勘ぐられもされかねない。それか、

単に税金を収めるのがバカらしくなって、大金を手元に置きた

くなったのかもしれない。痛くない注射を開発するがために、

脱税で告発されたのだろうか?何にせよ、このニュースは企業

にとってイメージダウンも生じて、とても痛いに違いない。脱

税をして作った痛くない注射針、あなたは使いますか?どこか

心が痛んでも子供の頃の記憶の痛さが省けるのなら、やはり使

う人が多くなるのでは、と私は思っているのだが・・・。まあ、

この岡野社長、今までもがっぽり儲けているらしいので、追徴

されても懐はきっと痛まないだろうなぁ。
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2013年07月17日

「今年の夏。2013」

今年の夏はロケットスタートのような暑さ。6月に入り、雨が少ない

なと言っていたら、ドット雨が降った。ドット降ったのはホンの少し

の期間で(1週間ぐらい)でそのあとは元気なお天道さんがドンと構

える。しとしとの長雨の梅雨ではなく、竹を割ったようなさっぱりとし

た後腐れのない梅雨だ。その後の猛暑はチベット高気圧と太平洋高

気圧が重なった高気圧らしく、これは布団を二重にかぶっているよう

な状態だとか。高気圧が二重に重なっているとはどういうことなのか、

素人にはイメージがつかない。幾つかの天気予報の番組で天気予報士

が仰るには、ある程度の高度以上にチベット高気圧が来て、その高度

以下に太平洋高気圧がいるらしい。何かわかったようで、分からない。

分かっているのは、熱中症にかかった人が、この6月・7月で昨年の倍

ぐらいの数らしいということ。夏の暑さに慣れていないところに突然

にロケット猛暑が来たというわけだが、果たして、日本に住む我々に

この夏の酷暑さに体はなれるものだろうか、と思ってしまう。まあ、

水分は欠かさずに補給することが大事だというのはわかる。

 次の日曜日、参議員選挙の投票日である。衆議院と参議院のねじ

れの解消がどうのこうの。少し考えると、政治が憲法のあり方をテ

ーマにした昨今なので、いつにもまして重要な選挙だというのは素

人でも伺える。中国と韓国との関係がギクシャクして、武力威嚇が

続く現在は、憲法のいかんによって、武力威嚇に対する対応の仕

方も代わってしまうということだろう。アベノミクスの今までの効果

できっと自民党は地滑り的とは言わないまでも、きっと勝利するの

は誰もが認めるところだろう。日本維新の会のプレゼンスが何とな

く危うく、希薄になっていることに私は残念な感じがするのだが。

橋本市長が伝えていることは私にはとても納得感がある。ポイント

は常に既得権に対する挑戦であるので、既得権側からすれば一刻

も早く、少しでも多く、潰しておきたいのだろう。民主党は自己の主

体ポイントはなく、自民党の相対的存在となっている。自民党がい

るから存在できているだけで、主張も反対のための反対で、具体的

な対立点がない。自民党の未来可能性としての暴走らしき?を訴え

ているものの、すべての言葉が虚ろに映ってしまうのは、党の生命

存在の写かもしれない。ただ、消え去るのみなのだろうか?離合集

散の漂いさえ伺える。

 夏の酷暑の序盤である。ただただ、小市民である私は暑さにやら

れずに耐えて行くしかない。
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2013年06月24日

しんぼうと忍耐

関西弁の情緒を響かす言葉の幾つかがある。‘しんぼうしいや’とか

‘かんにんやで’とか。いまでは、織田作之助関連か昭和初期の大阪

を舞台にした映画からしか連想できない言葉だ。(まあどちらも法善

寺横丁周辺の物語だ)‘しんぼうしいや’は耐えろ、という意味であ

る。男性では‘しんぼうせえ’となる。とにかく、目上の人間が目下の

人間にいうシーンが連想される。言われた目下の人間は耐えて、耐

えて、修行を重ねて一人前になることを夢見て、言葉をぐっと心に閉

じ込めるのだ。かんにんやで、は何か艶かしい。ほつれ毛の薄手の着

物を着た色っぽい女性を連想させる。古い昭和の記憶に囚われていそ

うだ。どちらの言葉も関西を代表する言葉として消えて欲しくない。

 こちらも関西を代表するしんぼーだった。辛坊治郎。元読売テレビ

のキャスターである。見た目は子供が描く漫画のように人懐っこさが

ある。決してイケメンとは言えない風貌だが、逆にその分、こちらの

警戒心を呼び起こさない。ずうっと前に(30年ほど前かな)彼が巨人

戦のアナウンサーをしていた時に、私は彼の名を知り、面白い名前の人

がやっぱり世の中にいるのだなーととても印象に残っている。その彼

が読売テレビ局内で順調に出世をして、幾つかの番組のメインキャス

ターを張り、そして独立した。維新の橋本徹と懇意であることもあり、

大阪の府知事選出馬も取り沙汰された程の人である。軽妙でどこかの

プロレス仕込みのキャスターと違って知性もうかがわせるコメント内

容である。著書も幾つか出しており、現在の日本の何となく右の考え

方も相まって、視聴者に受け入れられている。私も受け入れているひ

とりである。その太陽が登る勢いのような彼に低気圧が襲いかかった。

氏は学生時代から趣味でヨットを続けており、願望としての太平洋横

断を知り合いの盲目のヨットマンとふたりで敢行したのだ。そのヨッ

トに低気圧が襲いかかった。艇と二人のヨットマンはギリギリまで辛

抱し耐えたのだろうが艇が耐え切れなくなった。艇が沈没すると判断

した二人は救助を求め、海上自衛隊(海上保安庁?)に救助されたの

だ。日本から太平洋上1000キロ強のところであった。きっとこの事件

はこれからのキャスターのキャリアに大きく影響するに違いない。あ

る味方からすれば、調子に乗っていた、と言われても仕方がない。こ

のいわれは世間の目である。黙ってふたりでヨット航海に出ればよか

ったと思うのは私だけだろうか?ちょっと出過ぎたように感じるのは

私だけではないはずである。彼は復権するまでその名のとおり、シン

ボーできるだろうか?とりあえずは当分のあいだは彼の言葉に耐え切

れない人がいるのは間違いないだろう。少なくとも私と私の妻は同じ

意見である。
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2013年06月13日

2メートルの人生

ご存知の方も勿論多いと思うが、元野球選手だったジャイアント馬場さん

は身長2メートル8センチメートル。巨人軍に入団したが、プロ野球のピ

ッチャーとしては通用せずにプロレス界に入った。プロレス界に入った後

は、今は伝説となる話が盛りだくさん。2メートルを超える身長はその当

時の日本では珍しく、海外からやってくるプロレスラーと比較しても背が

高かった。昭和40年代はまだ戦後の雰囲気が残っていて、プロレスは戦

争の負けの仕返しの意味もあり、米国からくるヒール(悪役)レスラーを

見下し、また大相撲から編み出された空手チョップで相手をやっつける姿

に国民は酔いしれた。身長2メートルは日本国民に多くの勇気を与えた。

 打球の伸びが約2メートル違うらしい。日本プロ野球で使われる公式

球が昨年仕様のものと今年仕様のものが違っていて、飛距離が約2メート

ル違うらしい。同じ打球でも昨年は外野フエンスの2メートル前で打球

は落ちてくるが、今年のボールではそのまま外野席にまで届きホームラ

ンとなる。打者にとってもピッチャーにとってもこの2メートルはチー

ムの勝敗に関わる大問題である。またチームの成績に関わることは選手

にとっては選手生命に関わる死活問題である。昨年と違うボールを今年

は使用する事を日本プロ野球機構は誰にも明かさなかった。統計をとっ

てみると、今年は一試合のホームラン数が昨年に比べて1.5倍ぐらい

になったそうだ。実際に昨年はホームラン数が少なくて、野球が面白く

ない、という不満が出ていたらしい。実際にホームランは野球の花で、

ホームラン一本で試合の勝敗が決定してしまうことがある。それほどホ

ームランは野球ファンにとって魅力のものだし、野球選手にとっては恐

ろしいものだ。それほどに影響のある事が起きるのに、野球機構はボー

ルの変更を黙っていたとは驚きだ。メーカーのミズノはその影響が大き

い事を理解して機構に話していたそうだが、機構の方が黙っとくように

、と進言したらしい。

 機構のトップのコミッショナーは元駐米大使だそうだ。野球の本場ア

メリカの大使で、野球に対する知識や造詣はどうだったのだろうか?記

者会見で不祥事ではない、と述べていたが、この2メートルの差で、野

球人生の影響を受けた選手がいたのだろうか、いなかったのだろうか。

名誉職でコミッショナーを引き受けている人には残りの時間は老後の時

間だけなので、人生に大きな影響はないのだろうけれど、20代、30

代の一球に魂を込めている選手にとってはどうなのだろうか?またこの

状態を放置していた機構の面々はどうなのだろうか?官僚然の自己存続

だけを目的とする組織体と現場に対する想像力を持たない老害は文化を

根絶させるだけである。

 ピッチャーとして大成しなかった馬場選手だが、昨年の飛ばないボー

ルを使用していたらどうだったろうか?やはりピッチャーとしては難し

かっただろうか?2メートルの距離と2メートルの身長と比べれば、や

っぱり悪役レスラーをやっつける身長2メートルの巨人でよかったと私

は思っているのだが・・・。
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2013年06月11日

何もなくて 何もない

nada y nada。スペイン語でナダイナダ。なにもなくて、

何もない、という意味。(ウイキペディア)想像を絶するほどの退

屈な授業だった。私が通っていた高校は俗に言う進学校。幾人もの

有名人を排出する世間では名門校と呼ばれる学校だ。この学校に集

まる生徒は地域の優秀な連中ばかりで、私はその学校で成績では底

辺近くを常に彷徨っていた。これだけの名門校なので、先生も優秀

なバリバリの先生ばかりだと普通は連想するが、先生はユニークな

先生が本当に多かった。酒の匂いをさせながら教壇に立つ人もいれ

ば、昼食後の昼下がり、窓辺に持たれて居眠りをする先生もいた。

中でも強烈なのが授業時間中ずっとしゃべり続ける初老の世界史の

先生がいた。授業開始の時間が来て、先生が教室に入ってくる。起

立、礼、着席の号令が終わり、先生がプリントを配る。プリントが

配り終えると先生の喋りが始まる。永遠と始まるのだ。生徒が理解

しよう理解して無かろうがお構いなし。自分の喋ったことを確認す

るように、念を押すのだが、生徒の我々の表情には無頓着。さすが

に前にいる女子のクラスメートが‘たまらん’と男口調で呟いた事

を覚えている。先生は教壇の前の席に座る生徒のことを顧みずに、

つばきを吐きながら、腹式呼吸を使っているかのように抑揚もなく

喋り続ける。その授業は私にとってもたまらなかったので、私は自

分の時間の防衛に出た。本屋で購入してきた文庫本を読み始めたの

である。まあ内職というか、内職か。著者はなだいなだ氏。エッセ

イだったと思うが、これがツボにはまった。後ろにいた友人から

「授業中にくすくす笑うな」と笑い顔で指摘されたことを思い出す。

なだいなだ氏。本職は精神科医。慶応の医学部を卒業。慶応の

医学部を出て精神科医でさらに作家か、とその才能に驚いたことを

覚えている。当時、北杜夫氏も精神科医で作家として活躍していた。

こちらも読みやすい小説を書かれていたのだが、なだいなだ氏は小

説と違ってどちらかと言えば、散文形式の随筆というかエッセイで

ある。思ったままに書いてあることがまた肩肘を張らずに、学校の

成績で底辺をさまよっていた私にはぴったしだったのだ。(北杜夫

の著作は大学生になって幾つか読んだ)軽妙で洒脱、ユーモアがあ

り、ペーソスは少しまぶして文章をまとめあげる。授業中に読んだ

本のタイトルは忘れてしまったが、授業中に何冊も読んだことを覚

えている。なので、世界史のテストはいつも欠点スレスレ。これも

成績で底辺を彷徨っていた一つの要因である。大学受験には私は日

本史を選んで、益々世界史とは縁遠いものになった。世界史の強烈

な先生の姿は今も記憶に鮮明である。今思えば、世俗を鋭く風刺し

た文章も、人を暖かく見守った文脈も幻のような何も存在しないも

のだったのかもしれない。だから逆にその柔らかな語り内容の感触

だけが今も五感の中に残っている。何もなくて何もないなだいなだ

氏だが、氏の名前は私の奥深くに刻まれている。なだいなだ氏が昨

日鬼籍に入られた。本名堀内秀。合掌。

(でもあの世界史の授業はホントニ何もなくて、何もなかったなあ)
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2013年06月10日

未解決事件 ファイル NO.3

「おかしい。おかしい」一緒に枕を並べて寝入る女性は、彼女の繰り返す

この言葉を聞いたそうだ。おかしい、と発するのは、自分が信じる方向に

物事が進まぬ時。例えば、子供が夜の7時に帰ってくると信じている母が

いて、子供が8時に帰ってこないとき。「おかしいな。8時に帰ってくる

はずなのに」

「おかしい・・・」彼女の信じるものは自分の思う方向に進まなかった

のだ。

 尼崎は関西の工業地帯に中心の街の一つだ。この街が彼女の活動の舞

台の一つだ。番組では彼女の昔の事を放送する時間があまりなかった。

短かったと言っても良いかもしれない。彼女は気の弱い優しい人柄のよ

うに放送された。20代で結婚した彼女は京橋駅で夫とはぐれたとき、は

ぐれた場所で泣きじゃくってただひたすら待っていたそうだ。その後夫

と別れ、自分で生計を立てていた。報道番組で最近の彼女の写真を見た

夫は「鬼の顔になっている」と呟いた。

 鬼の顔となっていたのは角田美代子。いくつもの家族の崩壊をもたら

した女だ。留置場の布団で首をくくって自殺した。「おかしい」と言葉

を聞いたのは留置場で同じ房に入っていた女性だ。角田美代子の手にか

かっていくつもの幸せな家族が崩壊された。報道番組ではその一部の家

族を再現してドラマ風に放映したのだ。まさしくそこには言いようのな

い鬼が存在していた。犯罪の経過を取材した作家の高村薫は角田美代子

が鬼の行動を顕在していたその部屋に入り、言葉を失い、視線が彷徨っ

たように私にはみえた。彼女は主体的に鬼の行動を想像し、思い馳せ、

その凄まじさに言葉も感情もその部屋にあるべき未来も見失ったのでは

ないか。彼女はその後のインタビューで答えている。「我々の時代にこ

のような犯罪が起きたことは共有しなければいけない」(言葉は多少違

うがこのようなこと)。初老の女になぜ多くの家族が崩壊させられたの

か。これほどまでの事態にならないようにいくつもの機会やシグナルが

あった。そのどれもが角田の狡猾さによって封じ込められた。

数人のチンピラ風の男を仲間に家庭に入り込む。バックにヤクザがいる

ように匂わせて男たちの力を押さえ込む。子供に親を愚弄させると同時

に子供を人質にとる。警察は民事不介入で事件を扱わない。いくつもの

要素が折り重なった。この事件が明るみに出て、警察の捜査が始まった。

角田の「おかしい」という言葉は自分が作り上げた擬似家族が、警察の

捜査に対して自分に不利な証言を始めたことに対するものだったという。

いくつもの幸せな家族を崩壊させて自分の擬似家族を形成していった。

 彼女の最大のバツはその過程を吐露させることだったはずなのに。や

はり最高の医療が人類には必要だ。最高の医療があれば縊死をした鬼

を生き返らせる事ができたはずだ。
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