2012年03月08日

忘れない、忘れたい。

今日は3月9日。‘その日’まではまだ2日あるのに世間は1年前の‘その日’を

検証するのに忙しい。1年前の3月アタマは、長男が高校3年生で大学受験に突

入した時期だ。現役生の彼は、少々鼻が高く、世間知らずで受験のちょっとし

た厳しさを知らずに何校かの試験を受けた。世間は良く言ったもので、強い相

手や見知らぬ相手との戦いには謙虚になることが必要である、との教えがあっ

たが、幼い彼にはそんなことはとんとお構いなし。どこ吹く風だった。案の定

受けた学校全てに点数が足らず、多少は失意をしたのだろう、浪人生活に突入

した。ほぼ時期を一にして、東日本大震災が起きた。その後の状況はマスコミ

で伝えられているとおり。復興は一向に進まず、復興を一番に進めるべき復興

庁が復興の最大の障害になっているという報道もあるぐらい。街を再建しよう

にも決められた規制が何重にもありそれをクリアしないと何事も動かないとい

うめでたさを露呈している。

あれから1年。長男は浪人の末第一志望の学校に合格できた。付録といっては

失礼だが、続く長女(長男と長女は年子である。1年上の長男だが浪人したお

かげで大学では同級生になった)も結果的に第一志望の学校に受かり二人とも

晴れて憧れの学校の大学生になった。この大学受験のことは二人とも決して忘

れないだろう。

 ところで、震災のことである。先にも書いたがその日の1周年を前に様々な

報道が思い出したように行われている。共通しているのは‘忘れない’だ。こ

の‘忘れない’、一体誰が何を忘れないのだろうか?被災を受けた当事者な

のだろうか?それとも被災地に旅人のように自分の都合だけで救済支援する

人々なのだろうか?被災を受けた当事者は一時も速くその瞬間や出来事を忘

れたいと思っているのではないのだろうか?忘れたいと思っているのに忘れ

られないから、余計に忘れたいと思っているのではないか。忘れたいと思っ

ている人々に周囲の人間は‘忘れない’を賑やかに伝える。テレビのニュー

ス番組や報道番組、新聞や雑誌は‘忘れない’を思い出させて、視聴率を稼

ぎ、部数を増やしている。

以前に犯罪報道の犯罪が一時議論されていたが、その日を前にこの国は、震

災報道の大災害をまた生んでいるのではないか、と。絆というのもなんだか

怪しげだと以前から感じていた。怪しげだというのは偽善の空気がそこに含

まれているように感じるからだが。これは私の偏見かもしれない。ただ災害

や人々の悲劇にまつわる偽善は、古今東西見渡せば数限りなく存在する。歴史

が証明している。絆と言う一方で被災地にあるガレキや土壌の受け入れ処理

でもめている。こちらの岸にいる人々は、対岸の火事の火の粉がこちらの岸

に到達しないことを確認して、消化活動に出向く。視聴率を稼ぎ、部数販売

を増やす。その波に乗って‘忘れない’活動を煽る善意を売る一部の人々。

災害は一瞬でも早く忘れてあげたら良いのでは、と私は思っている。ただし、

これこそ忘れてはいけないのは、悲しみを受けた人々の話には絶対に耳を傾

けるべきだ、ということだ。

浪人で過ごした1年、きっと彼は忘れないだろう。この1年が彼を大きく成長

させたのは間違いない。
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2012年03月07日

みかんは腐るか。

みかんと言えば冬の食べ物というのが定番であった。みかんをよく食べると

風邪を引きにくいということを聞いたことがある。これは確からしい。みか

んの中にあるビタミンが体の抗菌作用を促進するらしい。しかし、風邪を引

いてしまったらみかんを食べるのは良くない。みかんが体の体温を下げるら

しいのだ。これらは聞いた話なので科学的にはどうかわからない。世間を席

巻したドラマの一つに腐ったみかんが広がるというのがあった。みかんはダ

ンボール箱で売買されることが多かった。それだけ冬の家庭ではみかんが定

番化していて、こたつのテーブルの上には必ずと言っていいほどみかんがあ

った。なので、少しずつ購入するのが面倒なので箱ごとみかんを買う人が多

かった。その箱の中で一つみかんが腐ると箱の中の他のみかんも腐り始める

というものだ。このドラマは中学生を舞台にしたもので、青空の下で繰り広

げられる青春ドラマとおもいきや、教室の蛍光灯の下で展開される世相を反

映した社会問題ドラマという趣でもあった。このドラマでの理想教師が余り

にも理想なので、このドラマがその後の学校問題を生み出したという意見も

あるぐらいだ。じゃあ腐ったみかんはどうなるのかと言えば、廃棄されずに

そのまま箱のなかにある。ドラマでは腐ったみかんなど子供の中ではありえ

ない、という筋書きだったが。現実社会では趣が違うところがある。腐ったみ

かんはそのままで、みかんが腐るのは、箱が悪いというので従来の箱を潰

して腐ったみかんを他の箱にうつすという作業が行われた。従来の箱(社会

保険庁)は潰れたが腐ったみかんは他の箱(AIJや他の組織)に移された。

移された腐ったみかんはどうなったか。腐ったみかんは存分に力を発揮して、

みかんを食べた連中を壊して行ったのだ。年金が雲と消えたのである。他の

箱に移った行動を天下りと世間では呼ぶ。腐りかけのみかんは中学生だった

が40才、50才にもなった大人はどうか。

 腐ったみかんの候補、そのニ.公務員労働組合の政治活動。公務員が政治

活動を行うことは法で禁止されている。禁止されている行為を調査する行為

を、法を犯した連中が差止めようとしている。この労働組合組織は自分たち

が政治活動を行なって推薦していた候補が負けてしまった。負けた相手が自

分たちの組織のトップにいる。そのトップが、禁止されている政治活動を行

なった連中を明らかにしようとしているのだ。腐ったみかんは公務員の政治

活動である。明らかに違法だ。腐ったみかんからなる組織は腐った組織にな

る。違法行為を行なったものは一刻も早く明らかにされるべきで、同時に罰

を受けるべきであり、そのような組織は解散(廃棄)すべきだ。
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2012年02月29日

鳥か獣か

「このコウモリ野郎!」ということばをごくごく本当に偶に耳にする。決し

て褒め言葉ではないこの言葉。場合によって考えや言動をころころと自分に

都合良く変える輩のことを指す。コウモリは獣(卵で子供を生まない)の中

で空を飛ぶので鳥のようでもある。獣であって他の類に似ているのは鯨も同

じだ。魚のように泳ぐけれど地球上最大の哺乳類(獣)である。コウモリや

クジラにとってはなんであろうと他者から言われる筋合いはないのだが、コ

ウモリに至っては貶し言葉で人々の間で使われる。このクジラ野郎!と言わ

れても言われる方はきっと貶されているとは思わないだろう。クジラは自然

保護のシンボルのように扱われることがあり、癒やしのカテゴリーにも属し

ているような、いないような。(これは悠然と泳ぐ様がゆっくり感を連想さ

せ癒やしにつながるのだろう)だとするとコウモリだけが虐められているよ

うな印象がある。これはきっと吸血コウモリもいるということで昔からおどろ

おどろしいところがあるので忌み嫌われているのかもしれない。

ドラキュラ伯爵も美人だけを生贄にしていたように思う。

 果てさて、バスの運転手か公務員か。橋本大阪市長が大阪市交通局にバス

の運転手の年収の引き下げを行おうとしている。交通局のバス(市バス)の

運転手の平均年収は約800万円弱。民間のバス会社の平均年収は約550万。

ざっと3、40%高い。市バスの運転手は大阪市交通局の職員だから公務員で

ある。なので,仕事はバスの運転手で年収は大阪市の公務員と同じ、という

ことになる。これは変なことだろうか?この論理で言えば大阪市の公務員で

あれば花壇に水を撒いているだけの仕事の人でも大阪市の厚遇の年収をもら

える。花に水を撒くだけである。この場合きっとこれは当然だ、という人も

出てくるだろう。ただ、当然という人は大阪市の公務員の関係者にきっと限

定されるのではないか。年収(報酬)は労働・役務に対して支払われるのが

筋で、身分の属性に支払われることはあってはならない。これが世間・全世

界の常識である。橋本氏の改革で大阪市全体が庶民の感覚に近づき、市民

の人々から好かれるようになることを祈ってやまない。コウモリは鳥の姿をし

ているが哺乳類である。市バスの運転手は公務員の身分であるけれど、報酬

の対価的にはバスの運転手であると世間は見るだろう。公務員のバスの運転

手と哺乳類で鳥の姿をしているコウモリ。運転手とコウモリには罪はない。

罪なのは市のシステムと進化のシステムなのかもしれない。
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2012年02月28日

どうでもいいけど、どうでも良くない

大阪駅のすぐ近くに桜橋という交差点がある。この交差点をすぐ北に登ると(ほ

んの100メートルぐらい)生まれ変わった大阪駅がある。大きなウェーブの屋根

のある駅だ。この交差点の南東角にスターバックスがあって、たまにその店で

コーヒーを飲んだりする。このスターバックスは国道2号線(国道1号線から

2号線に呼び名が変わるまさにその辺り)に面していて、窓際のカウンターに

座ると忙しく国道を走る車が通り過ぎていく。ある日カウンターに座り2号線

を行く車を見ていると、ガラス越しにさっそうと歩く女性がいて、その後を男

性が二人ほどその女性の後を追うように歩いていた。このスターバックスのあ

る一角は北新地と呼ばれる地域の端っこで、垢抜けた女性がぼちぼちいるのだ

けれど。それでもその女性は目立つ風貌である。女性の名前は中島知子。京

都出身のお笑い女性コンビでコンビ名をオセロという。一方が、色が黒く(こち

らが中島)もう一方が、色が白いのでこのコンビ名になったと聞く。関西出身

の女性お笑いコンビがあれよ、あれよいう間に、人気ものとなり今では世間を

騒がせるタレントとなった。世間を騒がせたタレントは同じ京都出身の嘘を付

いて記者会見を行い、南の島で身を隠しているらしい男性がその前にいたが

(この男は吉本興業所属でこの女性は松竹芸能所属)。この女性タレント、怪

しい占い師に言い含められ?(と世間では言われている)レギュラー番組はす

っぽかして降番させられたり、住んでいるマンションの家賃を滞納して裁判沙

汰になったりしている。実のところではひとりの女性タレントが番組を降ろさ

れようが、怪しい占い師に言い含められようがどうでも良いのだが、見方によ

ってはどうでも良くないのだ。その見方とは個人占い師が人一人をいいように

操っているように見えてくるところが良くない、と言うわけだ。いいように操る

のが一人増え、二人増えとなってどんどん増えていくとオウムのような可能

性を生んでしまう。とまあ、これは行き過ぎの点があるかもしれないが、可能

性として繋がってしまうのは残念なところである。占い師は占い師で新宿の母

だとか、某六星占術考案者とか顔が分かって堂々と世間の前に出てくればこれ

ほどの問題にはならないと思うのだが。このお騒がせの中身がどうなろうと私

たちにはどうでもよいことだけれど。どうでも良いことだから尚更早く白か黒

か(中島は黒だな)はっきりして世間の話題から消え去ってもらいたい。

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2012年02月08日

電気が切れそう

昨日家に帰ったら、風呂場の電気が変わっていた。それまでは長持ちのする明

かりで色が青色っぽいものだったが、暖色系の明かりに代わった。聞いた話に

よれば青色系は寒色系で人に対しては緊張感をもたらすらしい。一方暖色系は

ゆったりの気分をもたらすという。実際に温泉の素を入れた湯船に暖色系の明

かりが灯ると子供のほっぺたが何となく元気な良い色になるような感じがする。

もともと寒色系の青色の光は浴室の電気が切れそうになって、とりあえず家に

ある在庫の電球を備え付けた。LEDだったかどうかははっきりと覚えていな

いが、長寿の電球だったと思う。同じく玄関先の電球も暖色系に変えた。夜遅

く自宅に帰って来たときに迎えてくれるのが、緊張感をもたらす青色系の光が

いいか、ゆったり気分をもたらす暖色系の色がよいか、それは比べるまでもな

いだろう。玄関の電球も切れそうな状態だったので、応急処置として青色系の

光を入れていたというわけだ。

 同じく電気が切れそうな状態が日本経済にある。経営の神様が経営していた

関西を代表する企業が大きな赤字発表した。その額約7800億円。他に関西を代

表する企業のシャープ、社長が交代したソニー、NECなど電気・エレクトロ

ニクス関連が殆どマイナスの決算である。理由は既に多くのマスコミで報道を

されている。歴史的な円高とタイの洪水が大きなマイナス決算の原因だそうだ

が、要因はまだまだ他にある。韓国や中国の企業の躍進や、企業自体の事業領

域の停滞なども言われている。これら企業には優秀な人材が多数おられるので、

これらの要因はすでに理解済であろうが、果たしてこれからである。タイの洪

水の影響は数年にもわたることはないだろうが、欧州の経済不安定などからく

る円高は短期間で集結することはないだろう。日本は原発の問題で電力の供給

がかまびすしく議論をされているが、供給された電力を明るくする電気が切れ

たらこの国の経済は一体どうなってしまうのか、と思ってしまう。日本経済の

収益のメンバーが変遷するような報道もあるけれど、この流れは構造的なのだ

ろうか?

 とりあえず我が家では切れそうな電球は全て取り替えたが、果たして日本の

電気業界、明るくなる光は再びでてくるのだろうか・・・。
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2012年01月26日

ほんまや

別に全くの自慢ではないですが、行政のインキュベーションオフィス入居

の審査員をやらせていただいております。審査員は私も含めて5名。皆さん、

見識の高いばかりです。(失礼ながら私もいれさせていただきました)5人の

中央に座るお方は日本3大商科大学の一つの大学の教授をされていて(今は

定年の退官をされました)碩学です。次の人はデザインのプロフエッショナ

ルで関西でも一級のデザイナー兼プロデューサーで、私も色々とお世話にな

っている方です。次の方はこれまた優秀な方で、大阪の大手私鉄に元は勤め

ておられ(この私鉄は日本を代表する劇場をも持っている会社です)行政な

どに出向されておられ、話はとても理路整然とわかりやすく論理的で私もそ

うなれればな、と思うぐらい。(実はこの方私と同年齢。なので、この点で

も気が合う)次の方はばりばりの会計士さん。冷静沈着。数字から経営をは

じきだされる。そして残りは未熟なる小生となる。ここで起業したい人や新

しいオフイスを持ちたい人が行政の施設を使用させてもらえないか、という

ことで入居審査に応募をしてくる。我々は其々の分野の視点より、いろいろ

な質問を投げかける。事業計画性、発展性、行政の施設を使用するのにふさ

わしいか、など。意見が分かれる時もあるが、最後は多数決で入居の是非を

決める。我々の税金を使用した行政の施設を使って良いのかどうか。

 ホンマニ、妥当なのか、だ。
以前の審査は、今はなき由緒正しい歴史ある建物で行われていた。(今は歴

史ある場所というよりも時代の先端を行く建物)その建物の一階に自動販売

機があり、その自動販売機にそれはありました。自動販売機は民間会社が設

置していたので、なぜそれがそこにあるのか私は少し疑問に思ったことを覚

えている。それは超有名な知事が知事の座を降りて市長についた行政が製造

販売している商品だったのだ。この行政の水事業は、そこそこ有名で、海外

にもそのプラントを売らんとしている。特に東南アジアでは活動が活発なの

だが、私にはよくわからなかった。これって、図星の民業圧迫ではないのか?

民業圧迫で良くないことではなかったのか?私はその水をホンマニ一本買った。

民間会社の飲み物をその時買わなかったのだ。民間の会社の飲み物を買わずに

行政が出している水を買った。単純に経済原理で言えば、良いと思うものを買

ったのは魅力があったからだ、と言うことであれば問題はない。でも待てよ、

これってやっぱりどうかおかしいよな、という考えが頭から離れず、それ以降

はその行政の水は買っていない。(貰った時は飲んでいる)

 この事業の廃止を超有名市長が発言した。この水は民業圧迫をしてさらに事

業としては赤字だったそうだ。赤字は誰が補填するのか。我々の税金である。

ふざけるんじゃない、と思うのが市民のホンマノの感覚だろう。

 この水はホンマヤというネーミングなのだが、行政が民業を圧迫するのは即

刻やめる。それこそが本当の姿であり、ホンマヤ、ではないのか?きっとこの

事業部隊が入居審査に応募しても私は入居に賛成しないだろう。赤字事業を黒

字事業にする気もない連中に我々の税金を使わせたくないからだ。どう思いま

す?ホンマヤではないですか、ホンマニ。
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2012年01月25日

順番は守れよ

私は大阪の地下鉄を使って通勤をしている。数年間、東京にも住んでいたの

で東京の地下鉄にも乗っていた。大阪の地下鉄と東京の地下鉄(地下鉄に限

らず)との違いはというと、ひところでは東京では電車を待つ人が整然と並

んでいるのに、大阪では待つ人が並ばない、と言われていたことだ。その昔

に比べると多少は大阪の人も並ぶようになったとは思うが、東京の人々と比

べるとやはりまだ並んでいないように思う。電車が来たらさっと扉のところ

に逆から入り込むのはやはり大阪のほうが目立つように思う。勿論東京でも

そういう人はいると思うのだが、大阪のほうが頻度が高い。当たり前だが、

そんな人にちゃんと順番は守れよ、といっても意味がない。駅員が確りと見

張ってくれれば済むものだろうけれど、大阪の駅員さんもどこか匙を投げて

いるのだろう。それかそんな奴らは無視するに限るというものかもしれない。

無視することが一番の辱しめを与えるということなのだろう。順番を守ら

ない人間を無視して果たして社会性は保たれるのか、と社会学にもつなが

るかもしれない。

 私の父親は順番を守らなかった。なんの順番かと言うと父親は祖母より

も先に鬼籍に入ってしまったのだ。子供に先立たれる親の悲しみはやはり

計り知れないぐらい深く大きいもので、祖母の悲しみは長時間人を寄せ付

けなかった。そんな父も亡くなってもう25年になる。私は実を言えば今日

25日が誕生日で、今日で一つ年の数が増えた。父親がいない時間がいた時

間を超えるのももうすぐである。私の家族は今のところ順番を守って、目

上の人間よりは先に星になっていない。私の家族はきっちりと順番を守る

性質なのだが、私の周辺で順番を守らないものがでた。年末には楽しい姿

を聞かせてくれていた高校時代のクラブの後輩が年明けて急逝した。何年

かまえから、先輩一緒に卓球しましょうよ(私のクラブは卓球部である)

卓球を教えてくださいよ、とOB会の有る度ごとに私はその後輩から言わ

れていた。後輩の彼女はママさんバレーならぬ、ママさん卓球を夜の小学

校の講堂で行なっていた。市民オリンピックにもでていたそうだ。決して

上手ではなかったそうだが(当人の弁)高校の時以上に練習をしていたと

いう(これも本人の弁)。にこやかに私をからかいに来る彼女の姿は懐か

しく、微笑ましいものだった。何も昔の話を取り出して湿っぽくなるという

のではない。昔で言う青春時代の多感な時代の登場人物の一人が順番も

守らず、先に逝ってしまうのはやはり何か合点がいかない。これも運命と

いうものなんだろうけれど。

 皆さん、地下鉄もそうですが、やっぱり順番は守りましょう。
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2012年01月13日

大阪の栄光

去年奪われたトップの座を今年早々と奪い返した。見事な早業である。

なぜこうも何年にも渡ってトップの座に君臨できるのか空恐ろしい感

じがする。これは野球の話でもなくボクシングの話でもなく、もちろ

んサッカーの話でもない。ひったくりの件数である。

 大阪は不名誉な記録で34年だったか連続してひったくり件数ワース

トワワンだった。そこに橋本知事が登場して汚名返上とばかりにひったく

り撲滅作戦をとった。この作戦がたちまちに効をそうしてワーストワン

の座を他県(千葉県)に譲った。そこで千葉県が頑張った。そして1年で

ワーストワンの座を大阪に戻してくれた、というわけだ。ここで特筆す

べきはひったくりの件数そのものの絶対数は大きく減少している。栄光

の座を取り戻した大阪にしてもひったくり件数は3000を超えていたのが

2000の前半の数字になっている。

これは素晴らしいことに違いない。今までがなぜそのような多くのひった

くり件数だったのかと問いたくなるぐらいだ。ひったくりをなくすように

対応はして来たのだろうけれど、それがどこまで本気だったかどうか、と

いうことだろう。行政が行うことの多くに対して批判する気は毛頭ないけ

れど、仕事を減らさないようなレベルで手を加減しているのではないかと

勘ぐりたくなる。橋本市長は自分が府知事でいなくなったことで大阪府が

ワーストワンに返り咲いたことに悔しい内容のコメントをしているが、こ

の発言の悔しさをどれぐらいの大阪府の役人の人たちが共有しているのだ

ろうか。

 自身と家族が住む大阪がいつまでもこのような恥ずべき地位にいるのは

とても残念なことである。我が町は少しでもよくなって欲しいし、安全で

あってほしい。ひったくりを飲酒のように厳罰にして欲しいという気持ち

はいつも持ち合わせている。例えばひったくるだけで懲役10年以上という

のはどうだろう。誘拐と同じで、ひったくる行為とその罰の割が合わない

と強くメッセージすることに効果はないのだろうか?ひったくられないよ

うにすることに注力をするとういのは理屈では分かっていても、どこか納

得いかない部分が残る。 やはりひったくる方をなんとか懲らしめてやり

たいと思うのだが、このように思うのは現実的ではないのだろうか?
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2012年01月11日

支えてくれる人々

我が家には受験生が二人いる。上で長男は浪人生。長女は高校3年生。今

年の受験に二人が一緒に受ける。受験校は違うけれども兄妹でお互いの情

報交換を行なっている。二人とも予備校に通っていて、(長女は現役合格

をモットーにしている塾、予備校)帰りが私より遅いことが多い。夜の11

時を過ぎることも日常茶飯である。そんな子供たちに奥さんはオニギリを

作ってあげたり、夜食を作っていたりする。親としての支えが少しは果た

せているのかなと夫婦で話したりする。

 支えてくれた全ての人に感謝、と日本人で初めて(アジア人で初めて)

FIFA国際サッカー連盟の年間最優秀選手に沢穂稀選手が選ばれた。授

賞式には日本の服の着物を来て表彰舞台に上がった。一重瞼が彼女らしく、

負けん気が強そうで、それがまたサッカー選手である美しさを増幅してい

たのかと思う。同時に監督として佐々木則夫氏が世界最優秀監督に選ばれ

た。彼女と彼の活躍は昨夏のワールドカップの栄冠獲得のさいにもあらゆ

るメデイアで報道されたので今さらのコメントはないだろう。日本の女子

サッカー界に突然の神の降臨を実現させたようなそんな活躍であった。気

の強そうな一重瞼の彼女はこれからの活躍もきっと手に入れるだろう。

 17年支えてくれた?女と仲良く奴は当局の手に落ちた。まさか17年の逃

亡の後に出頭してくるとはお天道さまも気がつくめえ、と思っていたら、夜

に自首してきた。オウム信者の男である。オウム事件は徐々に過去のものに

なりつつあるかと思っていたら、ナンノナンノ、信者同士がお互いに支え合

って、オウム事件をまた現在の事件に呼び戻してしまった。犯罪の凶悪さと

事件の被害者である方達はいつまでもこの事件に関しては現在であるけれど、

世間は冬の風のように冷たく通りすぎてしまう。(そういう私も例外ではな

い。東北大震災のことも同じだ。忘れないようにすることが肝要だ)男は女

のヒモのようであった、と書いてある記事もある。男は17年間の逃亡につい

て「話すと迷惑がかかる人がいるので喋れない」と言った内容の証言をして

いたが、犠牲者になった人のことを考えるとどうなのだろう。この身勝手さ

はブラックホールにでも吸い込まれるような闇である。これからは国家が十

分に彼を支えるだろう。自殺させることはなく、いつまでもいつまでも罪の

償いをするために国家は彼を支えることだろう。奴に罪の大きさの自覚をす

る時が果たしてくるのだろうか?奴が罪の大きさを自覚するまで我々は彼を支

えていく、というのはどうだろう。
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2012年01月08日

パンがなければケーキを食べればよいのに

パンがなければケーキを食べればよいのに、という言葉は民衆に倒された一家

の娘がいったといわれる言葉だ。娘が言ったのは食うに困っている民衆に対し

てである。この言葉が民衆に対して大きなエネルギーを与えたともいわれる。

娘は民衆の生活をまったく知らなかった、また知ろうとしなかったのである。

娘はパンがなかった時にはケーキを食べていたのだろう。この言葉を聞いた

民衆の怒りを誰が抑えることができるだろうか?民衆の怒りが収まったのは

その娘の一族をギロチンに送った後である。

 我々は近代国家の市民(シチズン)として暮らしている。日本は世界の中で

もなんだかんだと言っても最も幸せな国の一つである。お店に行けばパンも

ケーキもある。最近のパンやケーキは本当においしくなった。それも安い値

段で買える。あるコンビニストアでもその先の別のコンビニストアでも購入

できる。パンやケーキは税金を納めた後で我々は買える。働いた糧は税金を

納めた後の所得として我々の手元にあるのだ。手元に残るお金で市民である

我々は暮らしている。手元にたどり着く前に徴収されるのが税金である。こ

の税金で支えているのが公務員だ。公務員はこの我々の税金で暮らしている

のだ。小学生でもわかるレトリックで言えば、我々民間人の税金で暮らす公

務員が民間レベルよりもはるかに豊かであることはどうなのだろうか?正し

いか正しくないかは問わない(レベルというのは平均ととらえてくれもよい

だろう。もちろん優秀な公務員は高い報酬をとるべきだという意見には異論

がない)納める民間人が納得いくかどうか、である。バスの運転手の平均年

収が民間よりも20%も高い。バスの運行を進める道路整備を行う人々(約1

kmのバスの道路を整備するのに凡そ7人。働くのは1日5時間ぐらい)の年収

が1000万円と言われる。
(こういう報道がテレビであった。異なっているところがあるかもしれない)

これで納得する市民がいるのだろうか?これは大阪市役所のことである。尋ね

たマスコミに担当者が言うのが奮っている。

「これまでは(大阪市)市民の方が聞けば、納得できないようなことがあったか

もしれない」

これは一体何なのだろうか?

我々は生活が苦しくともパンも食べることができればケーキも食べることが

できる。幸いなことである。しかしそれは精一杯働き(少なくとも道路整備者

の働きよりは我々市民は2倍から3倍働いているだろう)生活をやりくりしてい

るからである。市民の感情が収まるために彼らがギロチンに送られることはな

いだろう。ギロチンに送る代わりに彼らをウオッチするというのはどうだろう。

彼らは大阪の地下鉄にもバスにもゴミ収集車付近にいる。何よりも中之島に行

けば彼らをウオッチすることができる。民間常識の欠けた彼らの姿を。自分

達の気持ちを納めるのは自分たちが彼らをウオッチして行くしかないだろう。

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2012年01月06日

正直者のバカは真面目か?

新年あけましておめでとうございます。今年も頑張って書いていく所存でござ

います。しばし拙文にお付き合いください。このお正月は何となくゆっくりで

長く感じられて正月だった。休みは30日から4日までで、5日に初出。挨拶回り

も行うも休みのところが多く、午前中で切り上げた。このお正月でビジネス本

だが4冊ほど読み上げた。経営の理念的なものやテクニカル的なものなど。海

外の著作のものから日本のモノまで。本を読みながら、また年末年始に起こっ

たニュースを見ながら思ったのは、正直者はバカを見るという言葉から連想さ

れたものだった。正直者はバカを見るということなので、正直者はバカである

というわけではない。正直者はたまに、か、時々か、バカを見る(報われない)

ということなので、普段で不断なことではない。また正直と真面目は同列に並

ぶものなのだろうか?正直者は真面目か、真面目な奴は正直か、これは中々厄

介なものだ。正直者はバカを見るけれど、真面目な奴はバカを見ることはない

のだろうか?こうなると言葉遊び的なものになってしまうので、ここら辺で切

り上げたほうがよいだろう。

 消費税をあげるとは選挙の時には全く言わないで、政権を獲った暁に消費税

をあげると言う人々や、選挙の時にこれこれを行うといって政権を獲ったあと

には選挙の時に謳ったこれこれは何一つ実現できていない。中間処理施設は被

害者の地元に建設するという事柄とか。まるで歩行者のために用意された道を

歩いていて、車に轢かれた者は歩行者のために用意された道を歩いていたこと

が責任だと言わんばかりである。地産地消という言葉があたけれど、これはも

うあってないようなものだ。絆を唱えば歌うほどに、それを利用しようとして

熟するまで時間をかける連中の高いびきが聞こえてきそうだ。人の言葉を信じ

るものがバカのようで、人のために動き働くものがバカのようでもある。こん

な世の中に誰がしたと天に叫んでも仕方がない。こんな世の中にしたのは我々

なのだから。正直者がバカを見るのは、今年の初夢として夢の彼方に追いやり

たいものだが、それも適わない。

上下左右、180度、360度をどのように見回しても、とどのつまりは、人の言葉

を信じて、人のために働いていくしかない。こんな世の中だから人生はあっと

言う間にすぎていく一瞬として創造主は造られたのかもしれない。創造主も結

局は正直者で真面目でバカを見たのだろう。違うか???
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2011年12月27日

「失敗」

失敗学というものがあった。失敗が学問になるのだろうか、とふと思ったり

したものだが。また書店で「ベンチャー失敗学」なる本をみたことがある。

ベンチャーキャピタルの社長さんが上梓した本で、ベンチャー企業の失敗事

例を積み重ねたものだ。創業や新規事業のアドバイスに関わっているものか

らして興味深い本だったが、失敗事例がいくつも挙げられているので、最後

の方はこの企業の失敗も何となく見通せて、最後まで読むに至らなかった。

ということは失敗にはある決まり事や法則性があるということかもしれない。

家庭の不幸は其々の家庭によると歴史の文豪は賜ったけれど、失敗には共通

点があったということなのだろう。

 福島原発事故の調査報告が発表された。詳細は読んでいないけれど、官僚、

もしくは国関係者、および国が選定した調査報告、が書く報告書なんて法律と

同じほど退屈なものだけれど、要は対応が失敗であったということだ。一見す

れば段々と福島狂騒曲は落ち着きつつあるみたいだけれど、それは周辺にいる

ものの感覚だけだが。(人の噂も75日というレベルのもの)ともかくマスコミ

は3・11の日の検証を始め出した。この調査報告もそうだが、テレビでも地

震発生から原発事故の発生にわたって再現ドラマを作り出した。再現ドラマを

テレビで観たが、どこまで本当かどうかは未だわからない。政府と上司の命令

を現場のいち所長が無視し続けた、ということに恐ろしさを禁じ得なかったが、

日本人のモノの考えの‘終わりよければ全て良し’でそれも事実としてあるだ

けで特出した問題になる気配はない。東電自体が15メートル以上の津波想定を

していたにも拘わらずに、対応する防潮堤を造らなかったことで今回の災害に

なったということもあるが、それも結果論にすぎない。来るか来ないかもわか

らないものに何百億もかかる防潮堤を作ろうというのも経営の視点では?が付く

ものだろう。原発に関しては、今回の事故を良い例として二度と失敗は起こし

てもらいたくはないと心底思うのだが。(これは現在の日本に住む人々全てが

きっとそのように思っているに違いないと思うのだが。例外の人はいるのだろ

うか)

発明王の言を借りれば、数多い失敗が成功をもたらすというのだが、今回の失

敗で成功はもたらされるのだろうか?それとも成功を導くにはまだ失敗の数が

足りないのだろうか?失敗は数少ないほうがよいと言う点に置いては間違いの

視点(失敗)はきっとないだろう。
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2011年12月20日

三男坊

この世に最も嘆かわしい事の一つは加齢臭。加齢による体臭らしい。加齢

によるものだとすれば男性も女性も出てきそうなもの。しかし、加齢臭に

よって叩かれるのは世の中年男性。女性ほど体のケアをしてないからでて

くるものなのだろうか、その点はよくわからないけれど。中年女性に加齢

臭というのはあまりイメージが湧かない。私も中年の世代なので気をつけ

なければいけないと日々気にかけている。もう一つ我が家に最も嘆かわし

いものがある。それは3番目の子供の足の臭いである。3番目の子供は小学

6年生。今ソフトボールに熱心で、レギュラーの座とバッテイングの成績

と守備の安定さに今とても腐心をしている。練習から返って来たとき靴を

脱いだ途端に発せられるあの臭い。まるでパンドラの箱をあけたような、

そんな臭さである。でもこの3番目の子供とんと無頓着で周りがよっぽど

しつこく言わないと足を洗わない。この3番目の子供は次男ではなく三男

坊ではないけれど、周囲を意に介さなくマイペースをとにかく崩さない。

 以前にとある企業が長男と次男は採用しないという話を聞いた。あくま

でもとある企業である。理由を聞くと長男は全体のことを考える(全体最

適、全体幸福)ので狡さがない。(本当はわからない)次男は長男が親か

ら叱られているのを真近いで見ていて、萎縮することが多い。三男は長男

と次男のあり方をみてうまく立ち回り、長男や次男が家族の犠牲になると

ころがあるというのに三男は自分の利益をちゃっかり手に入れるというも

のだ。だから相手に負けないように三男を中心に採用するというのだ。こ

れが本当かどうかわからない。しかし、私はこの意見に本当に賛成する。

私の身近にいた三男は自分の利益だけを考えて好き放題しながら最後の尻

拭きをいつも他人に任せていた。(もちろん三男坊である人全部がこのよ

うな人だということではない。一つの傾向として、だ)

 で、永久凍土の大地を抱えた領導者様だ。見事に三男坊。長男も次男も

差し置き後継者指名をされた。まさか、自分だけの利益のために世界をひ

っかき回すということもあるのだろうか、ないのだろうか?全世界が注目

している。グローバル化の進展によりお祖父さんやお父さんが国のトップ

としてあった時とは全く環境が違うけれど、世界の各国の顰蹙を買うよう

な、世に嘆かわしい世襲であるというふうにはならないように願いたいも

のだ。
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2011年12月19日

取り残される

追い立てる、追いかける、てなずける、どのように形容してもボールが足から

離れない。ボールを運んでいると言うものでもない。彼はボールを十分に追い

立てている。ただ、馬を操るように行先を上手く足でコントロールしているの

だ、馬に対して手綱で右に向けたり左に向けたりストップを要請したり。手綱

の場合は、自分は馬上で止まっているけれど、彼は一緒にボールと走っている

のだ。幼い頃、身長が伸びないことで、辛い注射にも耐えたという。その彼が2年

連続のサッカーの世界最優秀選手で今年のクラブワールドカップで期待通り、

予想通りの活躍をした。メッシ。アルゼンチン代表で先にも書いたとおり、現

在の最高の選手である。このような世界最高選手がいるのになぜアルゼンチン

はワールドカップで栄光を手にできないのか、の理由はサッカーがチームプレ

ーであることに尽きているように思える。この辺はいろんな人が分析している

のでそちらをご覧ください。とにかくメッシにかかればすべてのものが取り残

される。チームメイトは最終パスの受けてにメッシを選ぶだけで進んで自分た

ちは取り残されているようだし、相手チームのディフェンダーやキーパーは立

ち向かって来る相手に準備をしているのに、相手は立ち向かってこないのだ。

ヒラリとボールと共にかわされ、その場に取り残される。最後の砦の一対一が

セオリーのゴールキーパーだってかわされてしまう。キーパーがかわされたあと

ゴールの前は何もない。ただの空間があって、メッシはボールをゴールのなか

に追い立てるだけである。今まで僕はサッカーのゴールキーパーは破られるも

のだと思っていた。それがかわされるものだとは。それこそパラダイムの大変

換である。ゲームは欧州王者が南米王者を全く相手にすることなく完勝。面白

かったが、つまらないゲームだった。このつまらなさに私の意識もどこか空虚

なとり残された感があった。

ところ変わって、取り残される貧民たち。北の大将軍、総書記様が列車の中で

心筋梗塞でお亡くなりになったそうだ。まさか、サッカーの南米王者の不甲斐

なさを嘆いて心筋梗塞になったわけでもないだろうけれど。これで東アジア、

中国と韓国、日本、ロシア、アメリカ周辺は一気に緊張が高まる。その緊張中

に取り残されているのは、裕福なお姿でお亡くなりになる人々とは対照的に貧

しく、やせ細った北の人々である。

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2011年12月16日

今年一番の寒波

ブログも更新しないうちに今年一番の真冬の寒波が来たり、神戸ルミナリエは終わり、

御堂筋のストリートライトが点きました。ライトといえば京都の花灯籠が観光客には

人気だとか。大阪府のダブル選挙では橋本氏が圧倒的支持を得て当選。維新の会で大

阪府と大阪市のトップ二つをもぎ取った。ダブル栄冠と言えるものだが、この強さに

日和見する政党が醜い。この柔軟さが政治だという輩もいそうだが、それは政治家の

中の話。庶民から見てみれば節操のない、ずるさだけ。この日和見を政治だというの

は、旧自民党の派閥力学が強く働いている時だけ。今は情報通信(ツール)革命など

のおかげで、組織票も雪のごとく溶け出して派閥力学は風前の灯火とも言える。

 私事ですが、数日前高校の同窓会がありました。そこで私の拙いブログを読んでく

れる奴がいてとても恥ずかしく恐縮してしましました。そいつは私よりはるかに優秀

で現役で超難関大学の法学部に入り、社会人となって整理回収機構に出向で務めてい

たというやつです。まあ、あまり女性には人気がなかったのが当然というか、救いと

いうか、この変が憎めない奴ですが。

 まあまたよしなしごとを綴って参りますので、お付き合い頂けたら幸甚です。
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2011年11月14日

昔に輝いていた星

その高校の野球チームは敗戦寸前の最後の一球の時点で一つにまとまったそ

うだ。栃木の野球の名門校である。甲子園大会では春の大会と夏の大会の連

続優勝を遂げた数少ないチームだ。チームは怪物とマスコミが持ち上げた絶

対的なピッチャーがいた。耳が少し人よりも大きい感じがして、それがまた

他人よりも力を持っているようなイメージを大きくさせた。投球の際に振り

上げる足は誰よりも高く、威圧的で、それが相手打者をひるませているよう

だった。雨の中(だったか)その投手が最後になげた一球は無常にもボール

となり、押し出しとなってそのチームは夏の甲子園大会を去った。そして大

人たちの思惑に翻弄されて、ドラフトが政治問題にもなった。高校生の当人

が原因なのか、勘違いする野球チームが問題だったのか、詳細が折りに触れ

て明らかになるが、その反省が野球界にとってよい経験になっているのか、

私には杳としてわからない。

(最後の一球でチームがまとまったというのは、最後の一球を自分の思うよ

うに投げさせてくれとチームメイトに初めて頭を下げたから、らしい)

 その球団のオーナーというかさらに上の親会社というか、それを従事って

いる老人がまたもや高校生だったピッチャーをトリガーとして話題になって

いる。話題としたのは球団の代表だ。その球団の代表が老人のチームに関す

るコミットに異論を唱えたのだ。その異論もガバナンスという視点からだ。

コーポレートガバナンスと言うのは聞いたことがあるが、チームガバナンス

のというのは聞いたことがない。チームはリーダーシップの問題が多く指摘

されるところであるが。これは単なる会社の内紛である。内紛とまでもいか

ないかもしれない。ただトラブルとしてのパーツが同じ高校生ピッチャーだ

ったこと。それに勘違いしていそうな同じ球団であること。またこのご老人

が関与していることだ。(このご老人は政治の大連立の時も関与されていた

という。想像を絶する偉い人なのかもしれない)元ピッチャーは引退後野球

の解説者やなにやらタレントもやっているようだが、最近は表に出てこない。

野球チームは、今年は早々にクライマックスシリーズで敗れた。ご老人は記

者の質問の受け答えにもおぼつかないぐらいだ。昔は星に例えられるぐらい

に日本国民の憧れのほどではあったけれど、例えられた星はゴミにまみれて

宇宙の藻屑になって行くのかもしれない。同時に社会の木鐸を抱えているけ

れど、星も木鐸も輝きは失せていっているようだ。
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2011年11月10日

亡霊は生きていた?

幽霊って生きているの?と聞かれたら、あなたは何と答えるだろうか?辞書

をひくと亡霊とは死者の魂と書いてある。また亡霊とは幽霊と同じらしい。

何か幽霊と聞くと髪が長く白い三角を頭に巻いて、足がなく襦袢のようなも

のがひらひらと風にゆれる滑稽な様を思い浮かべる。どこかコミカルな感じ

がする。一方亡霊となると、戦って敗れたものの魂のイメージがあって、何

かおどろおどろしくなる。幽霊は、子供の世界で言い聞かせるものであって、

亡霊となると大人の世界の口端にのぼるような感じがする。

20年前に起こって、国がひっくり返るほどに力を結集してよって集って退治を

したバブルの魂が甦ったようである。蘇るというよりは確りと栄養をもらいな

がら、裏の陽の当たらない納屋で生きていた。生かしていたのは日本を代表す

る企業の経営者達である。
「社員は悪くないのである。悪いのは私たち(経営陣)です」といってその泣

きじゃくる姿がマスコミに大々的に放映された社長がいた。社員は白けただろ

う。あれがバブルのひとつの象徴だ。彼の会社はバブルのツケを精算して名門

の名を閉ざした。白けた社員は他の食い扶持を探すのに奔走したわけだ。あれ

からだいぶ時が経ったような気がする。(当時に生まれた子は成人になっている)

バブルの鬼子はまだ生きていて、生かしてきた本人たちも勿論生きている。その

中には財務担当の役員であるのに、社長のために働いてきたと話した、という

役員がいた。(社長が会社のためにといって商品の不備を隠蔽して子供が死ん

だ事故を起こした企業もある)このあたりがガバナンスと言われるところなの

だろうけれど。役員が社長のために働いているというのが間違っているのか、

と言われると,そうでもない。適切な経営判断を社長が行うために働いている、

となると反論できないところがある。もちろん理由としては十分ではないが。

まあこの役員は脇において、では社長は誰のために働いてきたのか、となる。

バブルの損失(亡霊)を隠蔽することにより出世して社長の地位を獲たという

のであれば、これはきっと地位を保持するために働いているということになる。

保身だ。亡霊を隠蔽することが、出世の最大の貢献だったと言える。隠蔽は亡

霊を生かし続けることだ。となるとやはり亡霊は生きていることになる。現在

世間を賑わす社長が社会生命を絶たれて社会的に死んだとしても、その魂は生

き抜くのだろうか?少なくとも残された社員たちの手では、その魂は消される

だろう。でないと生者の魂が死んでしまうだろう。

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2011年11月09日

オリンポスから見たオリンパス

ギリシャの情勢は少し落ち着いたように思える。といっても我々にはただ

ニュースが届かないだけだ。国民投票といったちょっと考えられない奇策

を出した祖父から3代目の首相も民主政治のレールを外すことなく退陣す

るようだ。政府は一体化して財政危機の難局にあたるようだ。これでEU

からの申し出や条件を飲んでいくかのように思えるが、そこはどっこいギ

リシャのお国柄。観光や農業が主の国で、従業者の3割から4割が公務員と

いう在り方では、他人からの口出しにどこまで応じるか。口出しする方は

口だけではなく、お金も出しているのだから、条件を飲んでもらわないと

いけない。でなければギリシャで出始めた汚水がヨーロッパ全体、ひいて

は汚水が広がっていく道すがらの用水を、タイの洪水のように飲み込み全

世界の及んでしまうのである。ギリシャで一番高い山であるオリンポスの

山にいる神々が(ゼウスほかアフロデイーテやポセイドンと言った面々)

見た足元の世界に対する息をつく暇も無く、はるか遠い果ての国では、オ

リンポスの名前と間違えるようなオリンパスの事件を見ることになった。

この国ではなんと国を代表する企業がバブル崩壊して20年少し経つがその

間中ずっと巨額の損失隠しを行なっていたということだ。20年もその損失

が隠れていたということにこの企業のその後の技術の素晴らしさ市場での

信任の厚さを真摯に感じ取れるが、市場を騙していたということに間違い

ない。損失隠しが代々の経営責任者に受け継がれていたというのも驚きだ。

損失隠しができる人が出世をしてきた、ととあるマスコミは話していたが、

一面はそのとおりだろう。オリンパスは私の高校時代の親友が内科医で、

共同で手術用カメラを開発した会社でもある。市場を欺いてきた罪がどの

ようなバツを与えられるか、がこれからの焦点である。この罰こそ神々が

与える天罰ということか。神々の姿をカメラで捉えたいぐらいである。
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2011年11月02日

テレビの行方

前にも書いたと思うが、我が家にカラーテレビが来たのは比較的遅かった。

小学生だったころのある日、夕飯で家に帰って来たら、6帖の部屋に大き

なテレビがあった。その時に映っていたのはタイガーマスクだったように

思う。その大きなテレビは白黒だったと思うが。小さな白黒テレビが大き

な白黒テレビに代わったのだ。それだけでもとても嬉しかったことを思い

出す。天然色(カラー)になったのはさらに数年後だったように思う。当

時のテレビは今の薄型とはもちろん違って、テレビの上もひとつの陳列台

になっていた。写真やら表彰でもらった楯やら、自分が作った飛行機や戦

車のプラモデルなんかも鎮座していた。私には妹もいたけれど、妹のもの

はそこに置かれることはなかったように思える。テレビは居間で最もでか

い顔をした存在であり、娯楽の王様であり、テレビが付いていない時は暗

い画面がそれはそれで威容を発していたように思える。このテレビは日本

のものづくりの一つのシンボルであった。

 そのシンボルの一つが日本から段々と衰退しつつある。日本のテレビが

なくなるとは思えないが、日本のテレビのモノづくりが失くなりつつある

のだ。弱電の大手のパナソニック(昔はナショナル)がテレビの生産をぐ

っと減らすと発表した。声明は環境に適するとうな規模に合わせるという

ものだが、縮小以外の何ものでもない。日立も家庭周りの商品は段々と少

なくなりつつありテレビも例外ではない。液晶で一躍檜舞台に躍り出たシ

ャープもテレビの生産の勢いは青色吐息状態である。ソニー、東芝もパナ

ソニックやシャープの後を追っている。勘違いする人はいないだろうと思

うけれど、テレビが売れていないといってテレビの家にある台数が減って

いる訳ではない。テレビの台数は今まで以上に家庭にはある。テレビ自体

が作りやすくなったということで新規参入企業が多数入り込み、従来のテ

レビメーカーがコスト競争に勝てなくなったということだ。ファブレス企

業というものがテレビの業界のブランド名のあり方を変えていったのだ。

携帯でもパソコンでもテレビは見ることができる。テレビしかでテレビ番

組をみることができないという前提が覆されているのが現在だ。テレビは

家族の娯楽となっていたが、情報端末でみるテレビ番組は個人の娯楽と言

えるかもれない。テレビ受像器が情報通信端末に全てとって変わられると

いうのはないかもしれないけれど。(テレビはこれからもずっとずっとリ

ビングのメンバーであるだろう)テレビのモノづくりが日本から消えてい

くことはとても寂しく残念な気がする。と感傷的になっても意味がない。

アメリカの自動車を日本が追いやったように、日本のテレビメーカーもい

つかは新しい付加価値を持つ参入企業に追いやられる。それが始まったに

過ぎないのだろう。
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2011年11月01日

幼稚な

秋が深くなってくるに連れて、福島の話も所々になって来たように思える。

福島から届けられる最近のニュースは厳選されるようになった。事故当初

は国の根幹に関わる論調が多かったけれど、今では国の方向性はだんだん

と決められて、人々が被る影響に話が絞られてくる。子供の話や老人の話。

自分たちの身の丈にあった話になるので、少しは実感が湧いてくるのでは

ないだろうか。といって残念だが、あくまでも他人事のようであることに

変わりはないけれど。以前に一緒に仕事をしていた福島在局の人間が、防

護服を来てガイガーカウンターを手に携え、周辺を歩いていた映像がニュ

ースで流れていた。彼とは一緒に仕事のことで悩んだりしたけれど、その

勤勉さは遠い地でも活かされているのだなとテレビを見ながら感じた。

 福島の事故の水はどんどんときれいになりつつある。その綺麗になった

証拠として役人が記者会見でその水を飲んだ。この水は原発の事故後の溜

まり水で、東京電力(国も協力をしているのだろう)が浄化をした水だ。

この水を原発周辺の木々に撒いている。この水が安心であると発表した役

人に、とある記者が、安全なら飲んでみたら、と促した。役人は浄化した

水を容器からコップに注ぎ入れた。そのときの役人の手が若干震えていた

ように思える。コップに入った透明な水を役人は飲み干したのだ。記者が

役人に水を飲ませたことに私は異常に違和感を覚える。水を飲んだからと

いって何が変わるというのだろう。飲んだからといってその水に含まれる

諸々の数値が変わるわけではない。 じゃ、なぜこの記者は水を飲むこと

を促したのだろう。まったくここには子供の幼稚な精神レベルしか見えな

い。「お前がそういうのなら、証明して見ろよ」と。健全な民主的思想の

発展を促すという前提なら、この言葉はマイナスな可能性をはらんでいる

と私には思える。人を信用していない、という前提に立っている。これで

は民主的社会は築けない。幼稚じみた集団ではまかり通る言葉だ。幼稚じ

みた集団では、の話だ。この記者は何を期待したのだろうか?嘘をつく人

間に制裁を加える正義のヒーロー感覚なのだろうか。この幼稚な記者の満

足感だけが満たされた。

‘放射能付けちゃうぞ’と発した大臣もいた。とある記者はこの人に向

かってタメ口以上の汚い言葉で大臣に迫った。テレビを見ていて、見てい

るこちらが、気分が悪くなった。取材する記者の中には良識な記者もおり、

雑言を吐いた記者をたしなめた記者がいた。(ある人によれば、雑言を吐

いた記者は、常に強い側の立場につくそうだ)良識のある記者のおかげで

その場は秩序が保たれたけれども。この雑言を吐くような記者が憲法で守

られる報道の自由を行使する資格があるのだろうか?どうだろうか?

 元記者が今の記者の人々(きっと一部だろう)の程度の低さを嘆いていた。

同感するところがある。これらの記者は何の責任も取ることがないだろう。
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