2016年03月02日

56回目

今年一番の寒波が日本列島を覆っています。今朝も大阪の最低気温がマイナス

になるほどです。長崎では49年ぶりに積雪の記録更新だとのこと。寒波は奄美

諸島まで南下しており、沖縄でも本州並みの真冬らしい。やっと冬がやってき

たという感じ。

 新年度になって株価の下落が激しい。原因が原油安や中国経済の減速など色

々と述べられている。それもどれもがきっと正しいのだろうけれど、万事塞翁

が馬などと言って知ったかぶりをしても仕様がないし、先のことは全く分から

ない。いつの時代でもそうだ。

 56回目の年を迎えます。別にこれと言って感慨があるわけじゃない。歳くっ

たなあ、と思うのは何かの書類の年齢欄に数字を書くときだけ。56歳って結構

な年齢だな、と思うのは子供が大きくなってきたから。子供が大きくなってき

たからトコロテンのように押し出されて自分が年を食っていくのか、自分が年

を食っていくからそれに引っ張られて子供が大きくなるのか、意味のないこと

を考えるけれど・・・末の子供は高校生になっているし、娘の友達からは結構

式の招待状が娘に来るし、長男の友達からは就職が決定した連絡があった。同

窓会では‘来年のこの会には参加できない奴が出てくるかもしれない’という

ような締めの言葉で、声高に叫んでいる奴の頭は真っ白だ。その隣の男っぷり

が素晴らしかった陸上部の主将も今では、髪の毛を1本1本大事にしなくてはい

けなくなり、お腹がつっかえて座っている椅子を前に出すことも一苦労なよう

で・・・片や自分は酒がめっきり弱くなっていることを自分にいい気かせなが

らコップの酒をちびりちびりと飲んでいる。

 56回目を迎えてもまだまだまだまだ頑張らないといけないことは明白で、ま

た頑張れる内容を設定できることに感謝をして、自分の未熟で非力を何とかう

まくやり過ごしていくしか生きていく道はないわけです。自分一人では何もで

きないことの理解がようやく、寒波がもたらす憎たらしいくらいにどんよりと

した灰色の冬雲のようにどっかと自分の中に居座っている。いつかこの雲が晴

れて冬の晴天が来るかと期待しているのだが、残念ながらその気配は一向にな

い。仕方なくいつまでも知れず付き合っていくしかないと自分に言い聞かせる

だけ。

 ・・・54回目も過ぎて、55回目も過ぎて、56回目を迎える。ただただ周りに

感謝して体の健康に気遣いながら、足元にこぼしていくものを極力少なくする

ように警戒しながら地平の向こうの春の光を目指すしかない・・か。
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2016年01月04日

あけましておめでとうございます。

 正月3ヶ日が無事終わり、仕事始めの今日4日。今日が仕事始めの

初日。今年は申歳で、元日の我が家のポストにもありがたいことに

沢山の申がやってきました。申と共に書かれている名前やイラスト

を見ながら、懐かしい人や新しい交遊をもつ人々たち、これらの方

々と縁を持たせていただいているのだなと改めて感謝する次第です。

一方で、賀状で消息を欲しかった人から届かなかったのはやはりど

こか淋しく、だんだんと縁が薄れていくような感じがしてしまう。

でも最近は、同窓会やFacebookでまた縁が復活することも

ある。その時の喜びに取っておこうと一人納得してしまう自分がい

るわけです。

 新年を迎えて今年の我が家の変化とすれば、長女が社会人になる

こと、長男がようやく留学の季節(この2年で2か国に留学していた)

を終えて、就職活動に入ること。新事業を始める事。結婚生活が25

年目に入ること。それと次男が高校2年になり、大学受験の準備に

入ること・・・。(高校受験を終えたらすぐに大学受験の準備とは

・・・最近の高校も本当に大学受験の情報を早くから入れるように

なった気がしないでもない)

 新事業を始めることで、大阪で設けていた事務所を引き上げ、堺

の実家の近くに戻ってきた。新しい事務所は元々自分たちが住んで

いた家と工場(会社)で、工場の事務所を改装して新しい事務所にし

た。工場の事務所部分は活用していたのだが、事務所に隣接する住

居だった空間はそのままに手を付けずにいた。中学、高校時分に使

っていた部屋に入ると、天井に貼ったモトクロスのポスターがその

ままあり、ポスターを眺めると、逆にポスターも懐かしくこちらを

見ているようであった。ポスターは元々西日を受けたような色だっ

たが長い時間が押し寄せたのか幾分セピア調となっているような気

がした。そのほかにも当時のままのものが空間のそこかしこにあり、

少しだけ時が戻るデジャブを感じた。

 新事業の内容は教育関係。現在も経営コンサルとして人材育成の

エリアを主としているが、その拡大版といったところか。成功する

かどうかはやって続けて見ないと解らないが、地元の生活圏で事業

をやること。地元にはやはり知り合いが多くて、名前を知ってもら

う人が多いこと。子供たちが大学を終えること等、事業が成功する

追い風となる要素は数多くある。あとは商品を磨き上げていくだけ

である。

 とまあこんな感じで、今年が始まります。この文章を読んでいた

だいた皆さんの今年は如何でしょうか?皆さんにも良い申歳になる

よう衷心よりお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い

いたします。
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2015年12月07日

頭文字

世の中には一生涯見ることがない単語が沢山ある。大学入学のとき

にお世話になった人が「辞書を読んでいる」と言ったことに、私は

すごく衝撃を受けたものだ。辞書は‘引くもの’(調べるもの)で

あった読むものではないと当時の18歳の私は思っていたのだ。辞書

の他に「現代用語の基礎知識」やこれらに類するモノがその後数多く

出てきた。分厚く重たく鞄に入れるものではなく本棚に鎮座させるも

のだと思っていた。この中のいくつの単語を知っているのだろうか、

と学生時代殊勝に思ったものだが、マルクスの資本論と同じく、読み

始めて少ししてまた部屋の飾りとなった。

 これら知識としての単語はきっと不変なものだろうけれど、続々と

日々が重ねるにつれて新しく言葉が生まれる。どんな言葉かというと、

頭文字をとった単語だ。OECD(経済協力開発機構だったか)とか他色々。

ウルトラシリーズに出てくる正義の部隊も頭文字だけで発音するので、

直接に意味が解らないものがあった。サンダーバードは日本名「国

際救助隊」だったかというので、意味が解るが、世の中に煩雑に躍

り出ている頭文字だけを取った単語の言葉は勉強が不足している私に

はよく意味が解らないものが実に多い。

 スペクター。最初はこれだけでなんかの意味があるのかと思ってい

た。それらしい響きがあったからだ。しかしこれはいくつかのシリー

ズの作品の中に出てくる組織名の頭文字を取ったものらしい。それが

今作の組織の名前になっているのだから何が何だか分からなくなる。

50歳のボンドガールを配役した今回の007は、今までと変わりなく、

いや今まで以上に面白い内容だった。個人的には導入部分のメキシ

コで行われている「死者の日」がとっても興味深く、この祭りは本

当に毎年催されていて、これを映画の舞台にするとは、なんとセン

スの良い作品だと感じ入った。(映画は是非皆さん、ご覧になって

下さい。盛りだくさんすぎるほどに満載されています)さてスペク

ター。綴りはSPECTRE。語尾のアルフアベットがREとなっ

ているので、私は最初‘スペクトレ’と呼んでいて、何のことだろ

うと解らなかった。伸ばすのならREではなくてERだろ、と思っ

たのだが・・・。スペクターが組織名で、綴りは今までの007が関

連した組織名の頭文字を取ったものだという。また作品のモチーフ

となっているのは蛸でこれはオクトパスだろうと・・・スペクター

という単語はダブルミーニングでもなく、単なる遊びとして頭文字

と組織名を掛け合せたものなのか、と今も少しモヤモヤしている。

 頭文字だけの言葉。これが辞書に入ってくるとは思えないが、現

代用語の基礎知識の類にはこれからも含まれていくに違いない。言

葉の増加が文化の進歩というものなのだろうか。まあ使わなくなっ

た死語というものもがあるから、言葉は増えているのか減少してい

るのかホントのところは不明だ。しかし、ややこしいには変わりは

ないな。
 
posted by P.S.コンサルティング at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年12月06日

新の始まり

 今年の年の最後の月に入った。残りの日数が秒読みに入った。この月は

世間では師走と呼ばれていて、師も忙しく走り回るという事らしい。忙し

く走り回る月が始まる少し前に弊社P.S.コンサルティングは引っ越しを

行った。引っ越し先は家から50メートルぐらい離れたところ。実際に新し

い事務所から息を止めて家まで走れ、と言われれば走れるくらいの距離で

ある。大阪市から堺市へ。家のある住んでいる町へ帰ってきたという方が

適切なのかもしれない。

 新しい事務所は3階建ての町工場後の2階。3階には40平米ぐらいの

スペースがある。この2階を改装して新しく事務所仕様とし、3階をイ

ベントスペース仕様?としてこれもきれいにした。この年齢になって新

しく建物の改装費を借り入れなんて、ある人には褒められるし、ある人

には感心されるし、ある人には激励されるし・・・自分でもこれからも

うひと踏ん張り、まだまだ仕事を頑張らないといけないな、と思うわけ。

 この事務所は実は私が中学1年から浪人まで過ごした建物。隣には70

坪の典型的な町工場の建物がある。その工場には昔は(40年ぐらい前)

10数人のおじさんが働いていた。2階は私たちの住居の居間と工場の事

務所、それに3階には4つの部屋ある私たちの住居であった。2階の事務

所兼居間を取り潰して広いスペースにし、3階の4つあった部屋をこぶち

抜いて2つの部屋にしたと言う次第。もともと実家の工場は私が生まれた

時には10年ぐらい経った会社で、その町工場を数年前に4代目社長が閉鎖

した。業歴はざっと40年強ぐらいか。私は生まれて、西の方角にある堺

旧市街の幼稚園に通い、北にある小学校と東に位置する中学校に通い、南

の坂の上の高校へ通って、上方で浪人生活を経て都の西北の大学に入るま

で、過ごした建物である。

 この場所で事務所を新しくして、新しい事業を起こそうとしている。

 思えば今までの私の人生、そんなに遠くへ行ったわけでもなく、故郷に

錦を飾るほどに活躍してきたわけでもない。自分なりに精いっぱい働いて

きて(まだまだ足りないかもしれないが)家庭を持ち、3人の子供も大過

なく過ごしている。

 生まれた場所に戻ってきて、これからはじまる『新さ』に原点を感じて

いるのは、やや感傷的すぎることかもしれない。
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2015年07月25日

坂の上の門

何だか題名だけをみれば「坂の上の雲」(司馬遼太郎)と「青春の門」

(五木寛之)を組み合わせたようなものだが、全く大それた意味はない。

ただ、坂を上ったところに学校があり、その門のことを述べている。

 私が通っていた高校の名前は隣接する三つの国を眺める丘というとこ

ろからきている。だから丘の上にあり、その丘に続く坂を3年間通った。

長男が通う大学は駅の改札を出たところから始まる坂をずっと上がった

ところにある。長女が通う大学は大学構内に山があるくらいの学校でキ

ャンパスを歩くとちょっとした山登りの感覚を味わえる。末っこの次男

の通う高校は山の斜面を切り開いたようは学校で、断崖絶壁に階段をつ

けたのではないかと思うぐらいの坂を上る。この坂を妻は次男と一緒に

暑い日盛りの下休憩を入れながら登っていった。因みに次男が通う高校

は長男の母校でもある。なので、長男は高校・大学の通学で相当に足腰

を鍛えられた。(ありがたい)

 楽しい夏休みだが、この夏休みに入る前にほとんどの学校では懇談会

がある。これが何とも言えない学生にとっては嫌〜なイベントである。

高校に入って、つま先から頭のてっぺんまで体全体の色が変わるのでは

ないかというぐらいに驚くのが、その学習のレベルの差である。幼児プ

ールで泳いでいたのが突然に公式競技用のプールで泳がされるのではな

いか、と思われるぐらいに格段という言葉では言い表せないぐらいにレ

ベルがあがる。なので、多くの生徒が勉強についていけない。恥ずかし

い話だが私も欠点バリバリ。夏休みや冬休み、春休みの日にち数ではない

のかと思うぐらいの数字の点数がいくつも。今でも当時の点数を思い返

すと赤面しそうな自分がいる。

 この懇談会に次男が向かった。結果は惨敗。新入幕が横綱に

挑むようなもの、中学生がイチローに臨むようなもの。中学生

と高校生のレベルの差に打ちひしがれたようであった。

 担任の先生に言われた叱咤の言葉に、何とか負けん気を奮い

立たせる若さがあったのが救いである。こちらは次男の肩を小

さくしてうつむきしょんぼりする姿を見て、笑いをこらえるの

に必死である。彼もこれから坂を上り始め、雲をつかむよう

な助走をし始める。同時に厚く重たく大きな門をたたき自分だ

けの扉を開いていく。

 こんな親の感傷めいた気分を一蹴し、二男は「待っていまし

た」とばかりに日本の三大祭の天神祭へと友達と一緒に出かけ

た。テストの点数は野球の打者の打率のようだが・・・

 夏休みはこれから本番へと入っていく。

雲は高く白く、門は厚く重く。次男の在り様はまだまだ私を楽

しませてくれそうだ。
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2015年07月19日

牡蠣のおいしさ

 独断で申し訳ないのだが、子供たちが好きな料理というのはカレーかハン

バーグ。それにエビフライ。さらにはオムライス。これらが定番というとこ

ろか。これらはお子様ランチをイメージして述べたものだが、55歳の私はま

だこれらのどれもが大好きだ。カレーの舌の上に乗るあじわい、ハンバーグ

の肉汁、エビフライの茶色の衣のなかの白い身、味付け自体が美味しいケチ

ャップ味のご飯。そのどれもが今の私にとっても子供と一緒に楽しめる食べ

物だ。

 子供がそれほどに好きな食べ物なのに親父はカレーが嫌いだった。母は私た

ち子供用のカレーをつくる鍋の横に父親用の肉鍋を用意していた。子供心にそ

ちらの鍋がすき焼きのように見えて、カレーよりも輝きを放っていたが、母親

は決して父親用の鍋を僕たち子供には食べさせてくれなかった。父親の食事

の好き嫌いはまだったようで、海のミルクと言われた牡蠣が嫌いだった。その

為、高校を出るまでに牡蠣を食べたことがなかった私が、浪人時代に初めて恐

る恐るだがカキフライを注文してみた。一口食べた後、ハンバーグの肉汁に

勝るとも劣らない牡蠣の汁が口の中に広まったことを昨日のように覚えて

いる。

 決して美しいと思えない捨て台詞調に元総理は言い捨てた。「そのデザ

イン(新国立競技場の)は生ガキのようで気持ち悪く、好きではなかった」

この元総理は何の因果かわからないが、大学の先輩でラグビーをやっていた

ようだ。自伝を読まれた方もおられるかと思うが、大学入学に関しても社会

にでて就職した際のエピソードもさわやかな感じのするものではなく、牡蠣

にあたったような苦々しい感じのするものだ。あれほどにおいしい牡蠣もタ

イミングを間違えれば猛毒にもなるもので、美しいものには棘があるのと同

じく、美味しいものには毒があるのだなと納得する。昔から彼の人は、知識

があるのかないのかわからない、礼も品も学もない言説を振りまく。もっと勉

強をすればよいのに、とかもっと本を読めばよいのにとか思うのだが、そんな

ことは彼にとってきっと取るに足らないことなのだろう。だからあの醜さが

今も強烈な力を放っている。牡蠣の猛毒のように。

 生ガキにレモン汁を少し絞ってかけて、ちゅるっと口に入れる。これだけ

でも生きててよかったと思うぐらいの幸せである。彼の人の捨て台詞になって

しまった生ガキが少し残念だとは思うが、彼の人は生ガキが嫌いなのだろう、

ということだけが救いである。

 牡蠣はRのつかない月には食べるものではないと世間で言われている。な

ので、本来の7月(JULYでRがつかない)は牡蠣にとっては出番のない月

なのだ。父親が牡蠣を嫌いだった理由は今もって不明だが、(こんど母に聞い

てみることにする)7月にそもそも牡蠣の話題をするのが牡蠣にとって迷惑な

ことかもしれない。

あの年齢になって、負け惜しみをあのような言葉で吐く輩が日本のある面のト

ップだとは。子供の悪ガキのような精神年齢である。あのような人には大人の

食事など似つかわしくなく、お子様ランチがぴったりな気がする。

 素晴らしい新国立競技場でオリンピックが開かれ、多くの選手の素晴らしい

プレー、パフオーマンスをビールと生ガキを食べながら見られることを本当に

楽しみにしている。
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2015年06月29日

梅雨の青空

 今日は梅雨の中休み。先週はほぼ一週間出張だったので、大阪で机に座るのは

4日ほどぶり。出張先でも雨がジトジトと降り続くどんよりの空。さらに悪い

ことに梅雨寒に引っかかり風邪をひく始末。仕事には大きく影響をしてしゃ

べり声は昔の森進一ばりの声。気の毒に思ってくれた受講生の一人がのど飴

をくれました。ゆっくりとなめて無事仕事は終了いたしました。

 今日は忘れていたような青空が広がっている。空中には雨のしぶきが何

やら残っているのかその陽射しも見た目ほどに強くはない。夏の突き刺す

陽射しまでにはまだ時間がありそう。この梅雨の中休みの青空が一番美し

いのは、私は沖縄なのでは、と思っている。旅行や仕事で沖縄には何度か

行ったことがある。梅雨の時期に沖縄には旅行はしないので、おそらく

この時期に仕事でいったのではと思っている。沖縄の梅雨の合間の青空

は、海の青を映したような間接的なものではなく、空自体が本来的に青

色を持っているのではないかと思うぐらいの強い青だ。それも抑揚のな

い一面に張りつめた青色をしている。残念なことに最近は梅雨時期の沖

縄の仕事はないが、いつかまた梅雨の中休みの沖縄の青空を見たいと思

っている。

 この青空をいつくしむ地の2大新聞がつぶれたほうが良いとの発言を

被っている。発言した人は立派な人だ。作家である。他の作家が同じ

発言をしたらこのような問題にはならなかっただろう、と仰られてい

る人だ。当り前だろう。他のどんな作家が新聞社をつぶしたら良い

と言うのだろうか?この作家はベストセラーの作品を次々と生み

出した。ゼロ戦やら石油会社の社長の物語など。作品はとても素晴

らしく思う。読んだわけではないが、新聞の書評を読み、ネットで

の反響にも目を通した。エンターテイメントでは素晴らしい才能を

持つ人なのだろう。これだけの範囲で活動すればよいのにと思うの

だが、如何せん政治的な発言が好きなように思える。もともと在阪

のテレビ局の作家だったかで、人が喜ぶコツを知っている(本人い

わく)らしい。確かに氏が担当していた番組はヒット番組だったら

しい。そんなエンターテイメントで才能あふれる作家なのだが・・・

 氏にはぜひ沖縄での青空を堪能していただきたい。素晴らしい青空

は一本の毛も残っていないスキンヘッドにきれいにその青さを投影

するだろう。エンターテイメントの世界の範囲内だけで素晴らしい

スキルを発揮してほしいと思うのだけれど・・・言論の自由、報道

の自由は他人を貶めることや、また揶揄することや、自分の思いを

すきなだけ言っても良いということではないだろう。そんなことは

小学生でも知っていると思うのだが・・・
posted by P.S.コンサルティング at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年04月09日

今年のさくら

 今日は4月9日。例年の春のさくら狂想曲が終わりかけのところに季節外れ

の雪が日本列島を覆った。ピンク色のさくらの花の上にはそれこそ綿菓子の

ような白い帽子が小さな山のように積もっている。小さな山も気まぐれな気

候で1日経てば消えてしまう。小さな帽子がなくなれば、いよいよ葉桜が桜

の花びらを追い出してしまう。葉桜の出現とともに新年度や新学期が動き

出した。

 晴れて我が家の末っ子の次男坊も新入生となった。仕事柄、企業の新

入社員の研修をいくつかの企業で行わせてもらっているが、初々しいと

いう言葉が感じられる。自分にもその頃があったのだと、ほんの少しは

昔を思い出したりする。次男坊は新高校生となり、電車通学を始めた。

中学には徒歩での通学だったのが、ある日から定期を携えた電車通学と

なった。彼にとっては定期を持つことだけでも大人の気分を味わったこ

とだろう。それに人生初の電車通学となる。最寄りの急行が停車する駅

まで自転車で約5分。急行電車に乗り学校の最寄駅まで約20分。駅からや

く10分の坂道を通う。次男がいく学校は縁があって、長男も通った学校

である。次男は長男の後を追うように、幼稚園、小学校、中学校、高校

と長男の後輩となる。これもまた親からしてみれば、クスッと、小さく

笑いたくなる出来事だ。まあ、家から近い学校が望ましかったのだが、

坂の上の学校に縁があったのだからこれからこの縁を大切にしていく

ことになる。

 坂の上の学校はほぼほぼ山に近いところにあり、これいな桜の花も

ある。学校のさくらも卒業生を追い出す華やかなピンク色が途絶えて

、力強い緑の葉桜が目をだし、不安と希望を持つ多くの新入生を迎え

てくれるだろう。むくむくと世間に存在を主張するたくましい緑の

芽吹が新しい生活を迎える若者に力を与えるものだと信じて止まない。
posted by P.S.コンサルティング at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年01月26日

55

 先月の日本経済新聞の私の履歴書の執筆が欣ちゃんこと萩本欣一さん。そして今

月がソフトバンクダイエーホークスの王貞治さん。ちょっと昔の人はご存じだろう

けれど、欣ちゃんがジローさんこと坂上二郎さんとコンビを組んだコント55号は、

プロ野球巨人軍時代に王貞治選手が作った55本塁打の55本から。プロ野球におけ

るテッペンの55本塁打に因んで自分たちもお笑い界のテッペンを目指そうとして

つけた芸名だ。プロ野球においてこの55本塁打の記録はまだ破られておらず、依

然にテッペンとなっている。また欣ちゃんこと萩本欣一さんは視聴率100%男と呼

ばれていた。テレビの番組のレギュラー4本で視聴率が100%を超えていたという。

この数字もまだまだテッペンを継続しているのではないか。

 この55という言葉、何だか馴染みを感じる。それというのもゴロがつけやす

いからで、ゴーゴー(55)などのオンは昔から使われている。(郷ひろみさんは

このフレーズの音を今でも自分の売りフレーズとしているよう)多少なりとも

気分が高揚してくる響きだ。

 昨日、私はこの55という数字を迎えた年齢となった。55歳。55歳と言えば立派

な大人である。少し前は55歳の年齢は定年の年齢で、もう社会には必要とされな

い記号の一つだった。詳しくは知らないが、55歳定年制の時代は寿命が60歳か

ら70歳ぐらいを前提にしていたと聞いた覚えがある。現在は寿命が当時より長

くなり約80歳となって、定年年齢の前提が大きく変わってしまった。また年金

財政の問題で早くに定年を迎えても年金が速やかにもらえなくなった。今は選

択制だったか60歳からもらえるらしいが、これも数年のうちにもっと年齢が引

き上げられるだろう。とすると必然的にもっと働く年数を増やさなければなら

ない。55歳は、以前では社会年齢のテッペンだったけれど、現在はこのてっぺ

んから尾根の稜線が続くようになっている。このてっぺんから続く稜線をこ

れからも歩いて行かなくてはならない。これからの進む道は、これまでのように

がむしゃらで、一喜一憂も多く、明日の様子を気にするようなことは極力抑え

て、踏み固めてきた道を少し穏やかで懐かしく感じるように心がけ、これから

の道では周りの景色を楽しむように、また少し眩しく感じるように尾根を歩い

ていければと思っている。

posted by P.S.コンサルティング at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年01月19日

19歳

 36年前か。私は東京新宿区の神田川を見下ろせる青線の名残のあるアパートの

2階の一室にいた。お風呂もなく共同トイレで、隣の部屋には新宿のお店で働いて

いるという女性が住んでいたらしい。正面の部屋には20代の男性が住んでいたと

いうが、顔を見たことはない。勿論隣に住んでいる女性と顔を合わせたこともな

い。大阪から大学で東京にでた私は誰も知り合いのいないアパートの一室に過

ごしていた。部屋の明かりは裸電球に傘をつけたもので、部屋はいつも仄暗かっ

た。2階の部屋にいる住人とたまに顔を合わせるのは、トイレであう若い男性だ

け。大家さんに聞けば、私と違う大学に通う学生だという。その人とも言葉を交

わしたことがない。ただ寝るだけの部屋だと言ってもよい。若さだけが悶々とし

て、ほぼ毎日、大学の授業には出ずに、サークルの先輩と飲んだり、アルバイト

をしたりして帰りは夜の12時を過ぎていた。アパートのまえの神田川の橋の上か

ら見上げた西新宿の高層ビルが真夜中でも光が消えることなく、別世界のように

見えた。その当時の19歳の大学生と言えば、ほぼ皆飲んだくれとアルバイトのよ

うな生活を送っていたのではないだろうか・・・

 彼は大学生ではなさそうだ。19歳男性。YOUTUBEに犯罪を思わせるよう

な動画を投稿して旅をしていた。この旅も逃避行をいうほどにはあまりにかけ離

れていて、単に自分の行先の風景を動画に乗せていたにすぎないように思える。

逃避行の資金はたった8万5千円だ。8万5千円で何日を過ごせると思ったのだろう

か。また8万5千円の先をどうするかには何も考えが至っていない。以前の女性英

会話講師殺害の犯人の逃走に比べるとあまりに穏やかで、ほんの爪の先ほども考

えておらず、幼稚というか、単なる家でレベルというか・・・それほどのものと

しか思えない。この旅が世間の注目を集めたのは、旅に出る前の動画がいたずら

にはしては度を越していて、食品に爪楊枝を混入させている動画や、万引きをし

ているかのような動画を載せていることだ。万引きは犯罪であり、購入していな

い商品に異物を混入させて商品棚に返却することも犯罪となるからだ。警察に捕

まった時は素直だったという。逃亡に疲れ果てたというわけではなかっただろう。

鬼ごっこで仲間外れにならないほどに自分を見つけてほしかったというぐらいか。

 捕まった彼にはこれから驚きが待っているのではないか。どういう驚きかとい

うと自分が他愛なくやったことへの社会の代償を突きつけられるからだ。彼は人

を殺してはいないし、大金をだまして奪ったわけでもない。それでも自分が考え

る以上の社会の罰則がまっているだろう。

 「ただ僕は面白おかしいと思った動画をネットに挙げただけだ。勝手に騒いで

いるのはそっちじゃないのか、と。単なる悪戯なんだ」

 若者に対しての社会性を浸透させる機会が希薄になっている。きっと自分の内

に逃げ込める手だてが以前にもまして増えているからだろう。その最大の手だて

はネットの世界だ。

 19歳。子供から大人への変遷期(インターフェイス)はいつの時代も危うく

感じる。
 
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